Lasting Happiness
古ぼけた、小さな骨董品屋。店に入ろうとした客は一瞬足を止め、それからゆっくりと中へと足を踏み入れる。
「あ」
そこには既に先客がいて。外へ出ようとしていた少年も驚いた表情でこちらを見ている。
「あ……すみません、大丈夫ですか」
「あ、はい……大丈夫です」
少し戸惑ったような表情を見せる少年に対し、入ってきた客……女性は、少年の後ろに立つ店主を見て、微笑み小さく会釈をする。店主は少し驚いた
表情を見せ、それから嬉しそうに笑顔を見せる。
「ごめんなさい、また今度来た方がいいかな」
「いいや、もう帰るところだから。どうぞ」
女性は少年の顔を見て申し訳なさそうに頭を下げると、少年もつられて頭をさげる。
店主に見送られるように少年は店をあとにし、代わりに女性は店の奥へと歩いて行った。
店内は薄暗く、ランプの灯りのみで照らされている。独特の埃っぽい匂いがたちこめ、木製の棚や陶器の甕などがまばらに置かれている。
「珍しいね、草が此処に来るなんて」
「あぁ……ちょっと色々あってね」
ソウ、声をかけられた女性は笑う。しかしその表情はどこか固く、暗いものを帯びている。
「……何かあったんだね」
「うん。此処に来るつもりはなかったんだけど、気がついたら店の前に立ってたの。それって多分、そういうことでしょ」
困ったような苦笑いを浮かべ、店主に促されるようにレジ前の椅子に座る。目の前に出されたのは、温かい湯気のたつコーヒー。
「砂糖二つ、ミルク一つでいいかい」
「えぇ」
まるで全てを熟知しているかのように店主は笑い、女性……草も笑う。
彼女は夢見 草、二十六歳。此処の店主、鳥の実の双子の妹だ。
カタン、という小さな音をたてて店主も向い合せになり椅子に座る。様子を窺うようにコーヒーを口に含み、草が話し出すのを待つ。
「……私ね、付き合ってる人がいるの」
「そう」
「もう、五年になるのかな」
「へぇ、じゃぁ大学の人か。僕の知ってる人かな」
その言葉に草は小さく頷き、鞄から一枚の写真を取り出す。その人物には店主も見覚えがあるようで、驚いた表情を見せる。
「覚えてるかな」
「覚えてるよ。ヴァイオリンが上手い子だろ……あぁそうか、草ってオーケストラ入ってたんだっけ」
そう言ってから再び写真に目を通す。草と二人、並んで幸せそうに笑っている。その相手方は同じ大学で、草とは同じ学科、同じ部活。店主も何度か
会った事がある人物だ。大学を辞め、家を出てからは本家に連絡をする事もなかったから家族の事情が全く分からない。もう五年も付き合っているなど、
店主は思わず苦笑した。
それから写真を元に戻し、指を組む。
「……わかってるんでしょ」
「いいや、口にしてくれなきゃわからないよ」
「意地悪」
優しい笑みを浮かべる店主とは反対に、草はしかめっ面。それから一息ついて、コーヒーを口に運ぶ。良い香りが体を包み込むようで、思わず ほぉ
と息をつく。今まで飲んだ事はない、けれど何か懐かしい感じがして。草はそのコーヒーを見つめる。
「で、何て返事をしたんだい」
「だから、わかってるくせに聞かないでよ馬鹿」
「……相変わらずだね草は」
「鳥もね」
この年になって兄弟喧嘩なんて、そう思い店主は苦笑する。この年になって、そんな事を思いながらも己は今……はた、と気がつく。自分はいったい
いくつなのだろう。彼がいるこの店は時間が交差している。先ほどまでいた少年の世界と、目の前にいる妹が生きている世界は全くの別物だ。
「どうしたの、鳥」
「あっ……いや、何でもない。で、彼は待ってくれるんでしょ」
先ほどまでの質問は何処へやら。話は突然核心をつき、草は黙りこむ。
それから観念したように、ひとつ、大きくため息をついた。
「……なぁ草」
不意に名前を呼ばれる。いつものように仕事を終え、彼の家で食事を作り待つ。定番になっていた日々に、変化の兆しが見えようとしていた。
「どうしたの」
五年も付き合えば、何となく彼が何を思っているのかわかる。そもそも、今自分が隠し持っている能力を使えば何を思っているかなんてわかるのだが、
それは使わない。普通の一般人として生きていたいからだ。
黙りこくったままの彼氏に、草は笑ってコンロの火を止める。こういう時は、どうしても言いたい事がある時だ。
「ほら、そうやって黙るのは武の悪い癖だよ。言いたい事があるならちゃんと言いなさい」
「……」
そっと草の左手を持ち上げ、何かをその薬指にはめる。
はめられた小さな……ダイヤモンドが光る指輪を見て、その意図を知る。
「これ……」
「俺と結婚してください」
二十六歳。確かに、結婚適齢期と言えるかもしれない。
五年間付き合った、大切な人。彼とはいずれそうなれば良いと思っていた。それは本心だ。けれど……
「あ……ごめん、なさい……わた、し……」
顔を見なくてもわかる。きっと今の彼は、酷く傷ついた顔をしている。断られるなんて想像していないだろうから。
いや、違う。彼は傷ついた顔なんかしていない。おそらく……
ふわり、となでられる頭。顔をあげると、彼は優しい笑みを浮かべていた。
「そんなに考え込まないで……って言い方変かな。でも俺はいつまでも待つから、ゆっくり考えて」
そうやって笑ってくれる。こんなにもいい人は自分にいない。それがわかっているから……本当に、どうしようもなくつらかった。
結婚。今までの付き合い方も、ほぼ結婚した夫婦のようなものだ。夕飯を作り、泊まり、仕事へ行く。自分の家に帰る日と、彼の家に泊まる日は週に
半々くらいで。両親にも、結婚し家を出ていった姉にも同棲すれば良いのに、そう何度も言われている。
わかっている。本当は彼と結婚し、幸せな家庭を築きたい。
でも、怖い。今までは喧嘩をしたって仲直りが出来た。ちょっとした言い争いだって、一つ一つの行為が嬉しかったり、喜びだったりした。
結婚をして、それが あたり前 になるのが怖かったのだ。家事をして当然、仕事をして当然……そんな気持ちになるんじゃないか、そんな不安の方が
勝ってしまって。咄嗟に口に出たのがあの言葉。本当は嬉しくて嬉しくて仕方がないはずなのに。
翌朝は家に戻り、シャワーを浴びて布団へもぐる。
箪笥の上に置かれた写真立てには、沢山の写真。家族だったり、恋人だったり。一つ一つ眼で追い……一枚の写真を手に取る。
「……」
夢見一族に受け継がれてきた不思議な能力。彼には何となくその話はしてあるし、自分がいまその力を使っていない事も知ってくれている。けれど、怖い。
自分は異形なのだと、心のどこかでそう思ってしまう自分がいる。特に、双子の兄の存在。彼は得意稀なる能力を持ってしまったがために、最愛の彼女と
別れ、一族からも離脱。今は何処にいるのかわからない、時の人と化している。
「わかって……るんだよ」
そう、わかってる。家族とか、能力だとかは関係ない。自分が一歩前に進めない、ただそれだけの話。
わかっている、でも言葉に出来ない、行動にうつせない。
あれから一週間。何となく彼に会いづらくて、夕飯の約束も、デートの約束もなくしてもらった。
きっと彼は笑って許してくれる。 いいよ って。でも、その優しさに甘えちゃいけない。
そんな事、ちゃんとわかってる。
かたん、という小さな音をたててカップが置かれる。
「……駄目ね、私」
「人間なんてそんなもんだろう」
店主の返事に草は笑う。そうして、小さく頷いた。
「決心はついたかい」
「えぇ。まだ……自信ないけど」
ことり、と手元に置かれる小さな四角い箱。色とりどりの宝石がちりばめられているも、ところどころ穴が開いている。
「魔法のオルゴール。何でも願いが叶う代物なんですけど、お一ついかがです」
「家族にまで商売する気」
「お仕事ですから。五百円ですよ」
顔を見合せ笑い、草は五百円玉を一枚差し出す。
「……これから先、幸せな生活が待っていますように」
オルゴールを開けると聞こえてくるのは優しいハープの音色。
「これ……おばあちゃんの……」
カランカラン
扉に取り付けられたベルが鳴る。
ギシギシという、古い木の床がきしむ音。店内に入ってきた訪問者は、真っ直ぐに店の奥のカウンターへ向かう。そこでは、店主が電話をしていた。
訪問者に気がつくと は と顔を上げ、片手で制す。訪問者は頷き、静かに椅子に腰かけた。
「あぁごめん、客じゃないから大丈夫。え、何ハガキって……何の」
店主の前に差し出される一枚のハガキ。そこには、純白のウエディングドレスを身にまとう妹。旦那と共に幸せそうな笑みを浮かべている。
「あぁ、今見た。いい顔してるね。え、うん、そうだね……うらやましいよ」
訪問者が喉で笑う。その表情は嬉しそうで、店主は困ったような笑みを見せる。
「もう……大丈夫そうだね。お幸せに、草」
店主の手には、小さく光るダイヤモンドの欠片。手元にあるオルゴールの側面にはめこみ、電話を切ろうとする、が。
『ちょっと待って』
「ん、なに」
電話の先で、妹は少し戸惑ったように間をおいて。それから深呼吸をする音が聞こえた。
『この前会った男の子いたでしょ。何となく見覚えがある気するんだけど……私、あの子知ってるかな』
思わぬ言葉に店主は眼を細める。
「さぁ……どうだろうね。じゃぁ、また」
電話の先で何かわめいているが気にしない。店主はそのまま電話を切った。
しん、とした空気が流れ、お互い目を合わせる。
「……遅いよ」
「そないな事言わんといてや。これでも頑張ったんやで」
訪問者……黒縁の眼鏡をかけた男は笑い、店主の手元に置かれたオルゴールを持ち上げる。
「よぉためたもんやな」
「もう……何年たったのかわからないからね。今は何年だい」
店主の問いに、訪問者は酷く困った顔をしてみせる。
「俺に聞かんといてや。鳥の仲間なんやから」
独特のイントネーションで話す彼に、店主は そうだね と頷く。
「いつも御苦労様」
「えぇて。これが俺の仕事さかい」
訪問者は立ち上がり、店を出ようとする。が、はた、と足を止めた。
「電話で草ちゃんが言うとった男の子……会えるんはいつ」
何かを含んだ言い方に店主は苦笑する。
「わかってるくせに」
「エスパーやないんやから、言わなわからんで」
「意地悪だな」
どこかで聞いたことがあるような会話だ。店主は帽子を深くかぶり直し、椅子の背もたれに寄りかかる。
「草の生きている時代で数えるなら、彼女が会えるのは三年後。君が会えるのは……二十年すぎかな」
「……了解」
カランカラン
扉に取り付けられた古いベルが鳴った
コメント
彼方様のサイトの8周年記念フリー小説を強奪…もとい、お持ち帰りしました。
個人的に気に入っているシリーズの番外編が読めるだけでも幸せです(ほわん
彼方様、8周年おめでとうございます。これからも、頑張ってください。
雲峯水零