神様……もう何も望まないから……

 私は、重い足取りである場所へ向かう。そこはもう行き慣れているのに足は重く、体がそこへ行こうとするのを拒んでいるかのようだ。でも、行かなきゃいけない。

 だって、そこには…私の……私が、犯した………“罪”が眠っているのだから……。



 “彼”は、私の幼なじみだった。いつも私と一緒にいてくれて、私が飼っていた子猫が馬車に轢(ひ)かれて死んだ時も、泣きじゃくる私を慰めて一緒にお墓を作ってくれた。  私が学校でいじめられていた時も、いつも私をかばってくれていじめっ子から守ってくれた。
 だから、私は“彼”に甘えすぎていたのかもしれない。それとも、“彼”が私のずっとそばにいてくれると思い込んで、頼りすぎていたのかもしれない。
 あの年の……クリスマスイヴまでは。
 いつものように、私は“彼”と一緒にイヴを過ごそうと“彼”の家を訪ねた。でも、“彼”はいなかった。
 心配になって町へ出かけると、“彼”を見つけた。
 でも、私は“彼”に声をかけることはできなかった。
 “彼”は、私と違う女性(ひと)と一緒にいたからだ。
 彼女は、私よりも背が高くて、髪もきれい。しかも服装がきらびやかで、“彼”と一緒にいても違和感がなかった。彼女には見覚えがあった。確か、学校で一番もてると言われている女の子だ。彼女は甘い声で“彼”に囁(ささや)いて、二人で笑っている。それは、“彼”が私にみせた事がない笑顔だった。
 私はその場にいられなくて、家まで全力で走った。あの二人を見る事ができなかった。ただ、怖かった。
 “彼”が、私以外の女性と会うのを。その時はただ、『“彼”が私以外の女性と会った』と言う事実から目をそらしていただけなのかもしれない。
 私は、この時点で気づくべきだったのだ。自分自身が、己の一生を使ってでも償えることができない大罪を考えている事に。
 そのクリスマスイヴ以来、私は自分の部屋にバリケードを作って篭城(ろうじょう)した。その時は、もう誰も信じたくない。もう誰にも会いたくない。そんな思いが、体内を駆け巡っていた。両親は最初のうちは私を説得していたけれど、だんだん諦めがついてしまった。このまま、死んでしまっても……誰も困らない。そんな思いで、篭城してから4日か5日が過ぎた。
 ある朝、控えめのノックが部屋に響いた。
 両親だろうか? それとも、誰……?
 その時、私は信じられないと思った。ドア越しに、“彼”の声が聞こえてきたからだ。


 “彼”は、私が部屋に篭っている事を心配したらしく、学校の帰りに来てくれたのだ。私は嬉しくて、ベッドやクローゼットを元の位置へ戻してドアを開けた。“彼”は、いつもと変わらない様子で私を見てくれた。そして、散歩へ行こう、いい気分転換になるから、と彼は言った。
 その時、悪魔が私に囁いた。
『おいおい、こいつの口車に乗って良いのか? こいつはな、お前を恐怖のどん底へ沈ませるために着たんだぜ。お前は見たはずさ、あの時イヴでお前以外の女と会っていたのを。そんな浮気性の男をお前は簡単に信用して良いのか? 簡単に心を許して良いのか? ん?』
 だったら、どうすれば良いのよ。どうしたら、私は、彼の心を私につなぎとめる事ができるの?
 わたしは、その囁きに反応してしまった。
『なあに、それなら簡単な方法があるさ。それはな……』
 そこから先は、今でも鮮明に覚えている。でも、その時点で遅かった。私はもう、悪魔に心を捕らわれたのだから。
 私は、いつも通りにふるまって彼と散歩へ出かけた。
“彼”は、昔私と一緒に子猫を埋めた丘へと歩いた。
 懐かしいな、と“彼”は無邪気に言った。私は、“彼”の様子を見て良かった、昔と変わらない。そう思った。
 “彼”の、次の台詞さえなければ。
「聞いてくれ。リフェル。実は、俺…」
 そこから先は聞きたくなくて、私は、彼を………突き落としてしまった。
 丘には、急な崖の所があって一回落ちたら這い上がる事ができないようになっていた。
 彼は、そこに立っていた。私はその時、悪魔が乗り移ったかのように彼を突き落としてしまったのだ。
 気がつくと、“彼”は崖の下で後頭部からおびただしい血を出しながら目を閉じていた。私はそこへ行く事ができずに気が動転してしまい、家まで全速力で走って、両親に助けを求めた。
 その時、“彼”はもう死んでいたのだ。
 警察の調べによると“彼”の死因は転落による後頭部の強打で、即死だった。
 “彼”の死は誤って崖の部分から落ちた事故という事で片付けられた。私の事情聴取は、“彼”の転落を見たショックで精神が不安定だからという理由で特別に免除された。
 “彼”の友人やクラスメイトたちは私に同情し、勇気付けようとした。
 でも、私だけが、本当の事を知っていた。“彼”は、私が殺したのだ。紛れもなく、この私が。
 “彼”の葬儀は、学校の友人やクラスメイト、教職員や近所の人までもが大勢来て、“彼”の死に皆涙を流した。
 私は、言いたくてもいえない己の愚かしさ、そして、“彼”を自分の心にとどめておきたい気持ちで“彼”を殺した事の後悔や己の罪の大きさに、ただ泣くことしかできなかった。
 すると、イヴで“彼”とあっていたあの子が私のところへ来た。私は、彼女が来た事で身を固くしたが、彼女はそんな私の様子を気にすることなく、
「あなたが……リフェル・ヴィレンツさん?」
 と、私の名前を訊いた。私は、黙って頷いた。彼女は、
「まず、カノン君の事だけど……ご愁傷様でした。それとね、これ、彼からあなたに」
 と、彼女は着ていた黒いワンピースのポケットから小さな紙袋を私に手渡した。
「私から、あなたに渡して欲しいって。彼、あなたの事が好きだった見たいで……それで、あなたにどんな物をあげたら喜ぶか、私に相談してきたの。『あいつの好きそうな物を一緒に選んでくれないか?』って、イヴ当日に。おかしいでしょ? 普通、そういう相談はイヴまでにするものなのにね。…ああ、ごめんなさい。それ、あなたのだから開けて良いわよ」
 私は、おそるおそる紙袋の中身を空けた。中に入っていたのは、黒い土台にはめ込まれた青い石のペンダントだった。裏には、『リフェル・ヴィレンツへ カノン・リィールより』と彫られていた。
 そうだったのか。これで、やっと、私の中で彼に対する疑心が晴れた気がした。と同時に、取り返しのつかない後悔に襲われた。私は、彼の気持ちすら考えてやれなかった。ただ、自分の事しか考えていなかった。私は、そのペンダントを握り締めて、声がかれて出なくなるまで泣き続けた。



 あれから、もう5年の年月が経った。私は、今までどおりに学校へ通いだした。でも、心の中は“彼”を失った後悔と、“彼”を殺してしまったと言う十字架を背負って残りの人生を歩もうと決めた。
 皆は、“彼”を失った悲しみから立ち直っているらしく、いつも通りにふるまっていた。
 色々と考えているうちに、“彼”の墓にたどり着いた。白い十字架。土台のプレートには、“彼”の名前と、生年時から没年までが彫られている。
 私は、彼の墓に持って来た花を供えた。
 ……ごめんなさい、カノン。こんなやり方、あなたは望んではいないでしょう。でも、私自身が望んでいるの。許してね。
 私は上着のポケットに入れておいた手紙を、彼の墓に置いた。もう後悔しない、私はこの世にいてはいけないのだ。あの時、悪魔の囁きに乗った時点で、私の定めは決まっていたのだから。
 私は上着の内ポケットに入れておいたナイフの鞘を抜いて、自ら刃を心臓部分に突き刺してひねって引き抜いた。そして、“彼”の墓の前に崩れ落ちる。
 自分の血が、地面に吸い込まれていくのが分かる。意識が、少しずつ飛んでいくのが分かる。
 ……私は、大罪から許されたのだろうか? “愛する彼を殺してしまった”と言う、大罪から。

Fin.

後書き(と言う名の言い訳)

神無月 夜音様のキリ番500のリクエスト『タイトルは“神様……もう何も望まないから……”で、死にネタ』でした。結末、ちょっとダークと言うか…最悪の結末になってしまいました。
主人公が幼なじみの男の子を殺して…自殺です。最初、タイトルからしてこんな感じで良いのか? とキーボードを打っていたら、勢いに任せてしまい、気がついたらこんなのが出来上がってしまいました。

神無月 夜音様、こんな死にネタ小説で本当にすみません。よろしければ、受け取ってください。



雲峯水零