図書館


 どんよりとした曇から細かい雨が地上へ降り注いでいる。

 自転車に乗った中年の男性は、雨に濡れるのを嫌がるように自転車をこいでいく。レインコートを持っていないらしい。

 犬と散歩している女性は犬とお(そろ)いのレインコートを身にまとっている。女性はうれしそうだが、犬はかなり嫌そうだ。

 女性が歩いている道の向かい側では、部活帰りであろう、丸坊主の少年たちが大急ぎで走っている。

 そんな、雨が降っている街の一角の光景を羽鴇陸葉(うときりくは)は窓から興味なさそうに見ていた。

 三階立ての会館、その二階にある図書室に彼女はいた。

 たまの休日、日曜日。

 この日陸葉はやることなんか全くないので暇つぶしに図書館へ足を運んだ。昔はよく足を運んだものだが、最近は陸葉自身が忙しいのでいく暇すらない。久しぶりなのでどこにどの本があるのかさえさっぱりわからない。その感覚を体に慣らすのに思ったよりも時間がかかってしまった。

 しかも、帰ろうと思ったときに雨が降り始めてしまった。傘を持っていない彼女は図書館の中で雨宿り兼本探しをする羽目になってしまい今に至っている。

 すぐそばにある本棚に入っている児童書のタイトルを細長い人さし指でなぞりながら陸葉はつぶやいた。

「ここにも…ないか。残念」

 せっかく図書館に来たのだから本ぐらい借りていこうと思ったのに、なかなかいい本に出合えない。昔はタイトルその他関係なく本を借りて読んでいたものだが、このごろその気持ちが薄れていくようになった気がする。

 すると、館内に設置されているスピーカーからクラシックが流れ出した。ベートーベン作曲『エリーゼのために』。

 それを聴いた陸葉のすぐそばで本を選んでいた母親が子供に

「ほら、あとちょっとで閉めますよ〜の音楽が流れ出したよ。みーちゃん、ここに閉じ込められておうち帰れなくなっちゃうよ。早く選ぼう」

 と言っているのが聞こえた。

 陸葉はあせらなかった。閉館なんてどうでもいい。本なんて借りようが借りまいがどうでもいいんだ。そう自分に言い聞かせたら、一冊の本が目に留まった。ハードカバーの本で、タイトルは『Labyrinth』と書かれている。

 ――『Labyrinth』ね。まあまあ面白そうじゃない。

 陸葉はその本を棚から引き抜くと、カウンターへ持っていった。司書の女性に本とカードを手渡す。返却は2週間後です、と女性は笑顔で言うと、分かりました、と陸葉も笑顔で返した。本を持参していた手提げに入れると、ドアを開けて少し歩いて階段を下りる。

 1階に着くと、エレベーター横の出口で紺のターバンを頭に巻いた青年が腕を組んでいた。そばには、ぬれたビニール傘とそうでない鮮やかな赤い傘が置いてある。

 TシャツにGパン、スニーカーとシンプルな服装だが、肩やスニーカーが濡れている。どうやらこの少年、雨の中を走ってきたらしい。陸葉は少年に近づくと

「何しているの? 交喙(いすか)

 と訊いた。すると、青年――和泉(いずみ)交喙は

「んあ?」

 と顔を上げた。

「『んあ?』じゃないわよ。何でここにいるの?」

「暇つぶし、と言う名のお迎え」

「意味不明」

「うるせー。お前さ、今日図書館行くって俺にメール送っただろ? で、迎えに来た」

「あ。そうだった」

「忘れんな。ほらよ」

 交喙は陸葉に赤いほうの傘を差し出した。見間違うことなんてない、自分の傘だ。

 外に出ると、雨はまだやんでなかった。さっきより雨量が増えている。

「さ、帰ろっか。途中でコンビニよろうよ。ただし、あんたの(おご)りでね」

「無理言うな。俺今日金持って来てないぞ」

 傘を差して陸葉が言うと、交喙が言い返した。まるで、幼いときに戻ったような感覚を味わいながら、陸葉は交喙と帰っていった。



Fin.