僕の家には、死神(しにがみ)が居候している。

死神と僕




 死神は、常にフードがついた黒装束に身丈以上にでかい鎌を持って家じゅうを徘徊している。

 僕が買い物を頼めば了承して普通の服装に――僕以外の一般人から見て、の話だ。本人の私物らしい――着替えて近所のスーパーまで買い物の代金を入れた財布とエコバックを手に持って行ってくれるし、洗い物や食事などを手伝ってくれる…洗濯だけは別だけど。

 最初はいつもフードをかぶって家中を徘徊していた上に件の黒装束のままで気ままな一日を過ごしていた。

 ある日。

 フードをかぶっているので顔がわからない。できれば、フードを外してくれと僕が死神に呟いたら、奴はあっさりとフードを外してくれた。

 フードの下に隠れていたのは、黒い髪に金色の猛禽類みたいな目をした端正な男の顔だった。

 それから、少しずつ家事や食事の作り方を覚えて――外見に似合わず相当呑み込みが早く、今じゃ僕よりも料理がうまい――普通の服装で近所のスーパーに買い物にいってくれるようになった。

 今じゃ、近所のオバちゃん達のアイドルと化しているらしい。(奴との関係は遠縁という事にしている)

 本人が僕の家に居る時に持ち歩いているでかい鎌は、死神の鎌(デスサイズ)という代物らしい。

 死神は、それを僕に見せてはくれたが、触れてはいけない上に持たせてはくれなかった。

 本人曰く『普通の人間が死神の鎌(デスサイズ)に触れたりしたら即刻こちら側の住人になる』と言ったので、僕は触れようとはしなかった。

 バカバカしい話だが、未だにこの世に未練――例えば、美味しい物が食べたいとか、友達と一緒に買い物や旅行に行きたいとか、面白い映画が見たいとか。そんなものだ――があるのだから、まだ死にたくないと思ったので触れたいとは思わなかった。それに、死神の鎌(デスサイズ)という代物は、見るだけで十分だったからだ。

 で、なんで死神が僕の家にいるのかと言うと。



******



 ある日の夜。

 一日の仕事を終え――例えば、家事とか(両親は海外勤めで不在なので、僕は無駄にでかい家に一人で暮らしている。両親は、お手伝いさんとかの類を雇う気はないらしい。最悪だ)、学校の勉強とか、友達付き合いとかだ――、自室で本を読んでいた僕の目の前に、フードを深くかぶってでかい鎌を持った黒装束がいた。

 それを見た時、死神が来たんだ、僕が死ぬ時が来たと思った。何でドアの音や窓が開く音がしなかったんだとか考える暇すらなかった。

 僕は驚く暇すら与えられずに、その黒装束に殺されようとしていた。だけど、黒装束は僕の顔をじっくりと見てその顔を横に――窓の方を見て顔をしかめると呟いた。

「やばい、間違えた…」

 すると、一羽の鴉が窓枠に降り立った。僕はその鴉を見て戸惑いを隠せなかった。なぜなら、その鴉は普通の鴉と違う雰囲気をその身にまとっていたからだ。

 黒装束はでかい鎌を肩に担ぐと、窓のほうに歩いて行ってそれを開けた。そして、鴉に向かって二言三言喋る――何を言っているのか分からなかったが、黒装束は鴉に一方的に怒られているように見えた――と、僕の方を向いた。僕が窓の方を見ると、すでに鴉はいなくなっていた。

「死神だ」

「知っているよ。黒装束に身丈以上にでかい鎌を持っていたら、大抵の人間はそう思うだろうさ」

 そう言って、僕は本に視線を戻した。

 この本は本の虫で小説家を目指して日夜執筆に励んでいる幼なじみ兼腐れ縁兼親友の私物なので、一刻も早く返さないと彼女に悪い上にいたたまれない気持ちになってしまう。

「聞けよ、人間」

 黒装束――死神は、僕の学習机の椅子に座っていて、その場でふんぞり返って僕を見ていた。僕は、渋々栞代わりに使用している紙切れをそのページに挟んで死神を見つめる。

「僕は人間じゃなくて、綾川(あやかわ)(ゆう)だ。好きに呼んでかまわない、死神」

「…女かよ、おい」

 死神はげんなりしたように言うと、咳払いをして改めて僕を見る。

 失礼な奴だ、僕はれっきとした女だぞ。出ている所はそれなりに出ているが、着痩せするタイプなので出ている所が目立たないのがコンプレックスだから密かに嘆いているというのに。

 死神は、僕の内心すら気に止めずに言った。

「突然で悪いが、居候させてくれ」

 明らかに突然すぎる。何でそうなったのか明確に教えてくれ。

 僕の心情を察したのか、奴は語り出した。



 死神というのは、冥府(めいふ)――つまり、黄泉(よみ)の事だ――の長を務める者の手足でもある魂の管理者で、人間の命を冥府へ導く存在。

 冥府の長を務める者自身が、人間が生まれた日にその者の命日を決める。これは絶対的なものであって、いかなる存在であろうともその命日を変更することはできない。例え、死神や冥府の長であろうとも。

 その命日に死神はこの世――僕達の今いる世界――に降り立ち、鴉――僕の部屋の窓枠にとまっていた鴉だ。あの鴉は、冥府の長の使いらしい――の導きでその日あの世へ旅立つ人間を死神の鎌(デスサイズ)で刈り取り、冥府へ送り出す。

 あとは、冥府の長の仕事。つまり、その人が大罪を――例えば、殺人とか、窃盗とか。この世での犯罪の類だそうだ――犯したか否かを裁く事らしい。

 裁いた後は、次にこの世で生まれる時まで冥府で過ごすそうだ。罪人も、そうでないものも平等に。

 だけど、死神は犯してはいけない罪がある。それは、『未だに命日が来ていない者の命を刈って冥府へ連れて行く事』、だそうだ。



「…それを、君は犯したって訳か」

「ああ。正確には、人違いってやつさ。俺がこいつで刈ろうとしていた者は80過ぎで寝たきりのバアさんなんだけどな。そのバアさんの所へは、別の奴が行くだろうな」

 …何で、世間で言うティーンエイジャーと言われている年齢の僕と、80過ぎで寝たきりの老婆を間違えるんだ、この死神は。

 いきなり死神は椅子から立ち上がると、僕の向かいに正座する。土下座しそうな勢いを目線で咎める。

「…で、僕とその老婆を間違えた君はさっきの鴉に説教されてここにいるってことかい? まさか、冥府の長様に『僕の命日まで帰って来るな』とか何とか言われたんじゃないだろうね?」

 死神が黙って頷くと、僕は奴に言った。

「分かったよ。そこまで言うなら居候させる。どうせ、行く当ても帰る場所も今の所はないんだろう?」

 死神の尻あたりにおもいっきり振っている犬の尻尾が見えたのは僕の気のせいだといいたい。

 だけど、僕はいきなり自分の命を刈ろうとしていた死神をそうそう簡単に居候させる気はないのさ。悪いね、死神。

「ただし、最低でも家事と買い物位はやってくれ。『働かざる者、食うべからず』って言うだろう? 例え、天使だろうが悪魔だろうが神様だろうが死神だろうが魔法使いだろうが冥府の長様だろうが居候は居候だからね、きっちりと働いてもらうよ。僕の命日が来る日までね。死神」

 死神は黙って頷いた。

 やれやれ。当分の間はうちのエンゲル係数が上がると思うけれど、働き手がいるからどうにかなりそうだ。いや、なると思いたい。



******



 そんなこんなで、死神は僕の家に居候中だ。

 死神が僕に死神の鎌(デスサイズ)を向けていない=まだ僕の命日ではない。ので、まだ僕は生きていると思う。

 だけど、死神はたまにやってくる鴉と共にどこかへいなくなる時がある。おそらく、僕の知らない人の命を刈って冥府へ導いているんだろうと思う。

 そして、死神はどこかへいなくなった時と同じように突然帰ってくる。最初は驚いたけれど、今は慣れてしまった。

 そんなある日の事。

 今日も死神は、自分の仕事をしに件の鴉と共に慌ただしくどこかへ行く様子を下校途中に見かけた。だけど、声をかけようとは思わなかった。そんな気になれない上に興味がないからだ。

 僕はいつも通りに一日の仕事を終えて、自室で読書をしていた。またどこかで、冥府へ旅立つ人間がいるのだろう。

 すると、滅多に鳴らない携帯電話が流行りの音楽を奏でだした。こいつは、幼なじみ兼腐れ縁兼親友が僕の了承を得て設定した専用の着信音だ。それに幼なじみ兼腐れ縁兼親友と両親以外は、僕はこんな曲じゃなくて初期設定の着信音にしている。

 携帯電話の着信を放ったらかしにしておくとそいつを片手に家に飛んできそうなので――昔、実際にやったら家に飛んできて説教をくらった事があるのだ――、僕は携帯電話の通話ボタンを押して耳に当てる。

「やぁ。僕の幼なじみ兼腐れ縁兼親友の藍嵜(あいさき)千尋(ちづる)?」

『今晩は、私の幼なじみ兼腐れ縁兼親友の綾川祐。学校以外で話すのは久し振りね』

 電話の向こうの彼女は僕の幼なじみ兼腐れ縁兼親友の藍嵜千尋。

 生まれがこの街の僕の母親と、彼女の親友が千尋の母親で家が隣同士だと言う事から幼なじみ。

 幼稚園の年少から今の学校までずっとクラスが同じだから、腐れ縁。

 何でも話せる間柄だから親友。

 無論死神の事も奴の居候の経緯も全て彼女に話しているし、死神を彼女に会わせた事だってある。

 千尋はストレートロングの髪を常にお下げにしていて、学校の制服を着崩している上に髪を染めて、顔に似合わない化粧を施し、その身に訳の分からない物を身につけて生徒指導の教員に怒られてもヘラヘラしているその辺の女子生徒と違い校則通りに着ている。

 私服もシンプルなものとスカートが多いし、ズボンの類は持っているには持っているが滅多に穿かない。

 僕も千尋と同じ教職員から見て真面目な部類に入るのだが、僕は短いスカートを穿くと髪を染める事、公共の場のルールを破る事が嫌いなだけで校則通りに着ているだけである。

 私服はカジュアルで動きやすい物が多く、スカートよりもズボンが多い。千尋の奴とは正反対だ。

 その上に千尋は目立つ事と周囲に期待される事が大嫌いで、本を手渡したらその日の内に読み終える位の集中力を持つ真面目な本の虫。

 それに、日夜小説家になることを夢見て密かに自作の小説を投稿している。僕もその小説を拝読した事があるが、中々面白い代物だった。

 そんな千尋は、うちの学校の図書委員長を務めている。

 目立たない部類に入る僕とつるんでいるから彼女もその部類と思われがちだが、図書室の使用を間違えた生徒には例え年齢や男女問わず、誰彼構わず制裁を与える故に密かに恐れられているし、教職員側も彼女を恐れて口出しできないそうだ。

 そんな彼女をなだめすかす事が出来るのは幼なじみ兼腐れ縁兼親友の僕と、図書室の司書を務めている中川さんという初老の上品な雰囲気を身にまとっている女性だけだ。

 携帯電話越しに、千尋の声が聞こえてくる。普段と比べて、いささか緊張しているようだった。

「何かあったのかい?」

『ええ、緊急連絡網よ。うちのクラスの品川(しながわ)君が――品川(ひろむ)君が交通事故に遭って帰らぬ人となったわ』

 品川、品川…? 僕の中で顔と名前が一致した。

 品川宏は、僕のクラスに在籍している校則違反者――いわば、世間で不良と言われる部類に入る男子生徒だ。

 学校にはただ寝に来ているのと遊ぶ女を見つけるため、それと友人とお喋りに来ているだけの(もっと)もな例の奴だ。

 髪を欧米系の人間の様に金に染め、制服を着崩してその身に良くわからない物を身につけて登校しては即刻生徒指導室に連れてこられてもヘラヘラ笑っていて。

 喫煙飲酒に加えて博打の類をやらかし、挙句の果てには万引きまでやらかしているとか。

 昔、美人の教育実習生と冷房が利いていない保健室で男女の営みをやらかしたとか。とにかく『きな臭い噂が服を着て歩いている男子生徒』という印象以外ない奴だった。

 そんな奴でも、死んでしまえば死神に死神の鎌(デスサイズ)で命を刈られて、冥府へ送られて行くものなんだろう。

「急だね。いつ?」

『…祐って確か、テレビとか一切見ないわよね。今日の…夕方辺りらしいわ。駅前の大通りをバイクで飛ばしていた所をダンプカーに撥ねられて、即死だったみたい』

 即死…。なるほど、下校途中に死神が件の鴉と共に慌ただしく家を出て行った理由がようやくわかった。

「…。そうかい、葬儀はいつ?」

『今週末よ。明日、担任の菊池(きくち)教諭が朝のHRで香典を集めるらしいわ。金額は3000円』

「了解。次は誰だったっけ? 名前を忘れてしまってね。よかったら教えてくれないかい?」

『…市河(いちかわ)さんよ。市河有希(ゆき)さん』

「ありがとう。また明日、おやすみ」

『おやすみ。件の居候さんによろしく言っておいてね』

「ああ」

 僕は千尋との電話を終えると、壁に貼ってある連絡網から市河有希の名前と電話番号を探り、彼女の家にかけた。

 3コール後に市河有希の妹と思われる、舌足らずで飴玉を口の中に入れて転がしたような声が聞こえてきた。彼女に自分の名前を名乗り市河有希本人に取り次いでくれるように頼むと、すぐに了承してくれた。

 保留音の後に聞こえてきたのは、涙声の市河有希の声。

 学校の制服を着崩している上に髪を染めて、顔に似合わない化粧を施し、その身に訳の分からない物を身につけて生徒指導の教員に怒られてもヘラヘラしているうちの一人でも、品川宏の死というものは衝撃的すぎるものに違いあるまい。

 僕はいつも通りの口調で千尋に教えられた事を全て彼女に教え、次の者に回すように頼んだ。

 通話を終える前に、綾川さんは宏が死んで悲しくないの? と市河さんに訊かれた。それに対し、僕はこう答えた。

「僕はさっき、千尋に――藍嵜さんに聴いたばかりで気が動転していてね。内心はとても悲しいんだ」

 それを聴いた彼女は納得したらしく、僕は通話を終えた。

 それと同時に、玄関が開く音。僕は立ちあがって、自室を後にした。



 死神が帰って来た。奴は一仕事を終えたのか、ひどくくたびれた表情をしている。

 僕はキッチンに行って、今日の夕飯のビーフシチューを温めていた。その間は、両者とも無言だった。

 椅子に座ってテーブルに突っ伏している奴の目の前にビーフシチュー、サラダ、白ご飯に来客用の箸とスプーンを置いて向かいの椅子に座った。良い匂いに顔を上げた死神は、無我夢中で用意していた夕飯を食べた。

 死神が食べ終える頃を見計らって、口火を切った。

「クラスメイトが一人死んだよ」

「そうか…お前は、俺を許さないのか?」

 死神の問いかけに、僕は即答した。いや、即答以外できなかった。

「許すも許さないも無い。死神、君と出会ってから僕は何も変わっていないよ。死に対する価値観も、君に対する価値観もね。人間というのは、生きている内に死んでいく者だからね」

 そう言って、奴が使った食器を流しに置く。僕は死神に「お風呂掃除よろしく」と言って洗い物を開始する。

 これが、僕と死神の日常の一欠片…のようなものだ。

 僕の命日が来て、死神が僕の命を刈りとって冥府へ送るその時までずっと続く。今までも、そして、これからも。



Fin.