理 −ことわり− 間編

 数日後。

 シルエラは、巨木の根元に腰を落ち着けて目を閉じていた。イオンは、天帝に呼ばれてこの場にはいなかった。

 ――今でも、『あの(・・)』事件を夢に見てしまう。天界と魔界の狭間にて、お互いの存亡をかけて戦っていた時代の最中に起きた…『あの(・・)』事件を。

 あの時、私は自分の右目を失った…永遠に。イオンを助けるための代償としては安過ぎる買い物だった。

 だけど、兄さんやイオンの実妹をはじめとする天界や魔界の子供を拉致監禁、実験動物として扱ったあの連中に対する憎しみは未だに私とイオンとあいつ(・・・)を縛りつけ、消える事さえすらも許させはしないのだろう。

 もう二度と、私やイオンだけでなく、あいつ(・・・)のような存在を生み出させないように、あそこ(・・・)は徹底的に破壊し再起不能にまで仕立て上げた。これでもう、二度と…。



「…ご、姉御!」

 ルナの声によって我に帰ったシルエラは、周囲を見回した。ここは――昼も暗ければ夜も暗い森――つまり、天界と魔界の境界地点。そう、ここは…シルエラとイオンと……もう一人の住人(・・・・・・・)の住処となっている森だった。

「姉御、寝ていたの? 珍しー、外で寝ているなんて」

「ああ、まあな」

 シルエラは伸びをひとつすると、ルナを見据えて訊いた。

「…お前、また(・・)逃げだしたのか(・・・・・・・)?」

また(・・)、は無いでしょ。ちょっと酷くない? 姉御」

「私はお前にそれ程ひどく言ったつもりはないのだが。…お前、自分の立場を少しは弁えた方が良いと思うぞ」

「ヤ・ダ」

 ルナが即答した時、シルエラは森の奥でもう一人の住人(・・・・・・・)が体を動かそうとする気配を感じ取った。

 ――今頃になって起きたのか、あいつ(・・・)

 シルエラが右目だけを動かして森の奥を見た時、ルナもその気配を感じたらしく「そういえば、姉御」と、森の奥を見据えながらシルエラに訊いた。

「この間のユニコーン殺しの件に、『歌姫(ディーヴァ)』を連れて行っていなかったよね? 何で?」

あいつ(・・・)の手に余り過ぎる件だったからだ。あのような“犯罪者”の執行は、あいつ(・・・)にはまだ重過ぎる。それに、」

 もう一人の住人(・・・・・・・)の気配がそのまま動かなくなった時、シルエラはルナにしか聞こえないように呟いた。それを聴いた彼女は、小悪魔のように(まぁ、ルナはイオンと違ってれっきとした悪魔なのだが)微笑むと「姉御も甘いね」と言った。

「…自覚はしているさ。一応は、な」

 シルエラがルナに言った時、一陣の風が森をかけ抜けた。その直後、その場にルナの姿はなかった。森にある気配は私が感じ取れる限り、自分自身と森の奥に潜んでいるもう一人の住人(・・・・・・・)のみだけだった。

 シルエラは大きなあくびを1つ噛み殺すと、目線を自分の目の前へと移した。その時、彼女の目の前に一人の少女が現れた。

 少女は外見年齢がルナと同じ位で、金髪は所々に細い三つ編みにしている。髪と同じ位の金色の目は、シルエラの容姿に怯む事無く彼女を見据えていた。背中には、シルエラから見て左側に天使特有の白い翼、右側に悪魔特有の黒い蝙蝠の翼が生えている。

 服装は白いシスターカラーのノースリーブのブラウスに、黒い膝丈のジャンパースカート。両腕には末端に黒いベルトがついた白いアームカバーをつけていて、足には黒のロングブーツを履いている。

 少女は、シルエラを見据えたまま口を開いた。

「ルナ…来ていたの?」

「ああ。それが、どうかしたのか? ディアナ」

「ううん…」

 少女――ディアナは頭を振って、空を見上げた。空は相変わらず、澄み切った青で満たされていた。シルエラはディアナを見つめたまま、口を開いた。

「ディアナ、起きたばかりで悪いが…歌を歌ってくれないか?」

「…え? いいの?」

「ああ、頼むよ」

「…うん」

 ディアナは頷くと、深呼吸をひとつして歌い始めた。

 歌詞はよく解らない。おそらく、ディアナが知っている歌の一つなのだろう。シルエラは、彼女の歌を聴きながら物思いにふけりだした。

 ――今は、この森の奥に(ひそ)んでいてくれ。お前もいずれ、私やイオンと同じようにあの仕事(・・・・)を天帝や魔王の使いを通して請け負う事になる。その両手を、“犯罪者”の血と脂で汚すことになってしまう。…だからその時までに、大好きな歌を歌うが良いさ。お前も…私やイオンと同じ『矛盾』と言う十字架を背負って生きているのだから。



Fin.