漆話 −決断と出発− 弐


 三人の姿がここから見えなくなると、リュウが思い切り伸びをして、右手を地面にかざす。すると、魔方陣(まほうじん)が現れてそこからケルベロスが召喚された。

「…なんで呼び出す必要がある?」

「ガルムだけで十分だって言いたいんだろ? この大人数じゃ、ガルムにはちーっとキツイからな」

 だから、ケルベロスを呼んだんだよ、とリュウは続ける。そしてリュウは、三人の方を向いて「どっちに乗って村に帰る?」と訊いてきた。俺はケルベロスに乗って帰るけどな、と付け加えて。それを聴いた睦月(むつき)は、目の前にいる男二人を見据えて「私は、弥生(やよい)と一緒にガルムに乗って帰る」と言った。


「あんたらみたいな獣に、弥生や私が一緒になったらこっちの貞操(ていそう)が本気で危ないから」


 と付け加えて。それを聴いたリュウは「偏見だな」と言うが、睦月は真顔で「何言ってんのよ、男って皆獣じゃない」と言い出して、弥生と共にガルムの背に乗り込んだ。それを聴いたリュウは苦笑いをしながら、睦月の台詞によって半ば石化したヴァイスの方を意味ありげに見る。そして、彼の着ている着流しの襟首(えりくび)を右手でつかむと、ケルベロスの背に荷物のように放り投げて自分も前に乗り込んだ。

「ガルム、後で銃の的にされたくなかったら、睦月と弥生を振り落とすなよ。ケルベロス、俺の後ろにのっけている荷物は振り落としてもかまわないからな。…さあて、天正村(てんしょうむら)に向かって出発だ」

『『御意(ぎょい)』』

「あんたね…」

 弥生のツッコミを無視したリュウは、二匹にゴーサインを出した。それを聞き入れた二匹は、四人を乗せたまま天正村に向かって出発した。



 ガルムとケルベロスは、四人を乗せたまま無事に天正村の中にある弥生と睦月の家の前に到着した。二人がガルムから降りると、リュウが地面に右手をかざした。すると、ガルムの足元から魔方陣が出現した。すると、魔方陣が光を発すると共にガルムを包み込んでいき――光が消えたと同時に、ガルムの姿も消えてしまった。リュウは二人に向かって「もし俺達と一緒にベルガモットまで行きたかったら、今すぐに荷物まとめて村の入り口まで来いよ。じゃーな」と言った後、ケルベロスに乗ったまま村の入り口まで飛んでいったのを見送った二人は、一瞬で目を合わせた。

 ――どうする?

 ――決まっているじゃん。

 二人は一目散に家へ戻ると、草履(ぞうり)を脱いで各自の部屋まで走る。弥生は、自分の部屋の隅に置いてあった衣類等が入っている薄紅色の風呂敷(ふろしき)を掴むと、それを両手で持ち上げる。そして、そのままの状態で玄関まで再び一目散に走る。そこには既に睦月がいて、その横には彼女の荷物――衣類等を詰め込んだ黒い風呂敷や薙刀(なぎなた)等の武具類が入った細長い包みの2つだ――があり、草履を既に履いていた。弥生はそれを見て、かすかに微笑んだ。睦月は、弥生の微笑を見て銀色の目を半分ほど細めて自分の草履を履くと、鼻緒の位置が廊下の方角を向いていた弥生の草履を反対側の方角へと向けさせた。弥生は睦月に礼を言ってから床に風呂敷を置いて草履を履くと再びそれを持ち上げた。

「荷物を前もって準備しておいて正解だったね」

「うん。もう…ここには、未練が無いし。行こっか、睦月」

「うん」
 二人は各自の荷物を持って、玄関を出る。その向かいには、この村の長でもあり弥生の祖父母が住まう家が見えた。弥生は何かを言いたがっていたが、すぐに口をつぐんだ。そして、風呂敷を肩に担ぐと、睦月と一緒に入り口へと走った。



******



 時を同じくして。

 村の入り口では、(かえで)留衣(るい)を乗せたリンが既に誰よりも早く着いていた。リンは青い炎を身にまとい、元の姿になると村の方角へとその体を向ける。そして、己の両手を用いて複雑な印を作りながら何かの呪文を唱え始めた。

『この地に刻まれし時よ 我らが同胞のかけた時間ならびに我らがかの地に住まう者達に係わった時間を未来永劫、永遠に忘れよ』

 その直後、リンは息をゆっくり吐いて後ろに立っている二人の方を見た。留衣は楓の横で太陽にあたりながら影を作っていて、楓はマントのフードをかぶって座り込んでいる。その様子を見ると、かなりつらそうだ。

「悪いな、先に来させちまって」

「いえ、別に気にしていませんよ」

 留衣がリンに言うと、彼女は「そっか」と言って続ける。


「お前ら、今回の件をどう思う?」


 留衣は腕を(つか)ねて考え始めてしまい、楓は普通の人間が感じない辛さに耐えながら自分の師匠(ししょう)紅蓮(ぐれん)のように赤い目を見据えて「あの男の(たわむ)れです。…それ以外に、何の意味があるんですか?」と、逆に彼女に訊き返した。それを聞いたリンは、シニカルに笑って「そうかもな」と言った。そして、視線を村のほうに向けて続ける。

「手を組んだとはいわねーが、あの連中(・・・・)にだまされていた上に花婿と称した人身御供(ひとみごくう)…いや、違うか。花婿と称した白蛇(はくじゃ)のエサを差し出していたのは自分達だ。自分達が直接殺めていなかったとは言えどもな。本当はな、その記憶を連中に刻ませて発狂する自業自得な様を見て楽しみてー所だが…。あいにくっつーか、残念っつーか…正確にどう言ったら良いのか分かんねーんだけどさ。時間が無い上によ、今回“上”からあたしに課せられた仕事は『“能力持ち”を無事にベルガモットまで護衛する事』と『この村に住んでいる村人から“能力持ち”に関する記憶を全て消す事』だからな」

 まぁ、偽善かも知れねーけど、と付け加えて。

 留衣が束ねていた腕を解いて上空を見上げた時、ケルベロスがこちらへとやってきた。

 ケルベロスが地面に降り立った時、その背中からリュウと半ば気絶状態のヴァイスが(正確には、リュウが彼の襟首を右手でつかんで)下りてきた。

「師匠、睦姉(むつねえ)と弥生さんは…」

 一緒じゃなかったんですか、と留衣がリュウに言いかけた時、彼は黙って己の親指で村の方向を指さした。三人がその方向を向いた時、奥から(だいだい)色の頭と、漆黒(しっこく)の頭の二人組がこちらへと走って来る…弥生と睦月だ。

 リュウがヴァイスの後頭部を(なぐ)って起こした時、弥生が息も絶え絶えにリンのそばまで寄ってきた。その後ろには睦月もいる。弥生は、リンの目を見据えて一言。


「…連れて…行って」


 それを聞いたリンは、シニカルに微笑むと彼女に背を向けて「あの時言った事のついでだけどよ。今から、清濁(せいだく)(あわ)()む覚悟も決めとけ」と言って、歩き出した。それに留衣と楓が続き、リュウとヴァイスが続く。弥生は天正村を一瞥(いちべつ)した後、睦月と共に五人に続いた。リンは、自分の後ろを歩いている六人に聞こえるように言った。

「今から、弘化(こうか)へ向かう。目的は、必要物資の買い出し兼情報収集だ。文句は聞かねーから、そのつもりで」

 それを聞いた睦月は、唇から血が出るくらいかみしめた。

 ――弘化…。また、あそこに戻る(・・・・・・)とはね…。