漆話 −決断と出発−


 互いに自己紹介を済ませた後は、ケガ人の手当てに専念する羽目になってしまったとは、言うまでも無い。

 弥生(やよい)のケガはウシュムガルにかまれた左肩の傷だけだが、睦月(むつき)は両腕を中心とした切り傷と軽度の打撲傷。出血は多少あるがすぐに輸血が必要な程血は失われていないし、骨折だけしていないのが不幸中の幸いだった。

 現在、弥生の怪我はリンと楓が、睦月の怪我は留衣がそれぞれ手当てをしている。ヴァイスは見張りを兼ねた焚き火の準備、リュウはガルムを連れて、森の奥へ焚き火用の木の枝を取りに行っている。

「全く。敵を挑発すんのは別にかまわねーけどよ、それが時と場合によっては逆に自分を痛めつける結果になるってことを忘れんなよ。弥生」

「…肝に銘じておくよ、リン。これからは気をつけるね」

「そうしておけ…って、留衣! お前いつまで泣いてんだよ」

 リンの言う通り、留衣はと言うと………。

睦姉(むつねえ)〜。死んでいなくて良かったよ〜、会いたかったよ〜」

「…留衣、ごめんね。一人ぼっちにさせちゃって。もう、二度と離れないからね」

 先程から自分より幼い子供のように泣いてばかりいて睦月にすがりつき、彼女になぐさめられている。だから、先程から全然睦月の手当てが進んでいない。

 ちなみにウィリーは、自分の主の様子を見た瞬間から傍観(ぼうかん)する事を決め込んだらしく、近くの木の枝に羽を休めて大人しくしている。

「いい加減に泣き止めってさっきから言ってんだろーが。あいつは」

「感動の再会とやらをぶち壊したら、後が大変ですよ。師匠(ししょう)

 リンの小言を聞いた(かえで)が耳打ちすると、リンは呆れたようにため息をついて弥生の左肩に消毒液を染み込ませた脱脂綿をピンセットでつまむ。すると、それを見た睦月が突然耳に手を当てて、自分と同じ動作をした留衣と共に地面に伏せた。脱脂綿に付着した消毒液が傷口に触れた時、弥生の口からこの世の者とは思えない絶叫が周囲に響いてしまい、睦月と留衣以外はその餌食(えじき)となってしまった。その絶叫を直に聞いてしまったリンは、己の頭上に星が回っていることを感じながら弥生の怪我の治療を再開する。次からは、弥生がこの世のものとは思えない絶叫を響かせないように、本人なりに慎重に治療を行ったとは言うまでもない。



 その頃。

 ヴァイスは焚き火の準備をしながら、弥生の右二の腕を見つめる。彼女の左腰には、本人が持参した木刀が刺してあった。

 ――まとわりついていた物がない…。…あの時弥生の詠唱(えいしょう)と言い、やはりあれは“封印術(ふういんじゅつ)”か…。……だが、“封印術”はあの戦争(・・・・)にて失われてしまった術の一つ。……一体、誰があの術を弥生に………?

 物思いにふけっていたヴァイスを、リュウがいきなり現れて彼の背中を小突いて彼の目の前に木の枝を十数本置いた。彼の後ろにひかえているガルムの背にも、つるで束ねた木の枝が乗せられている。

「…何を」

 お前、いつの間に森から戻ってきたんだ? と訊く気にはなれなかった。彼の様子を見ると、先程戻って来ていた事が一目で理解できるだからだ。

「ヴァイス、物思いに耽っているのも結構だけどな。いい加減に早く焚き火の準備しねーとリンが暴れるぞ?」

 リュウが声を潜めてヴァイスに耳打ちをしたので、ヴァイスはマッチ箱を取り出してマッチ棒に火をつける。そして、リュウが同心円状に置いた枝の上に既に火がついたマッチ棒を落とす。炎が樹木の枝と言う養分を吸収して少しずつ上昇する中、彼はその上に左手を置いて呟いた。

「…出て来い、サラマンダー」

 焚き火の中で魔方陣(まほうじん)が浮かび上がる。その直後、そこから赤いトカゲ――サラマンダーが姿を現した。ヴァイスがケガ人の手当ての様子を覗いた時、留衣が泣き止んだらしく、黙々と睦月の腕や足に包帯を巻き始めていた。



******



 焚き火の中で木の枝がはぜる様に踊りサラマンダーが炎の中で嬉しそうに駆け回る中、七人はそれを中心に囲んで座っていた。戦いの最中に、着ている衣類が湖の水によってぬれてしまった四人は、各自羽織(はおり)稽古着(けいこぎ)をかわかしている。そんな様子を見ながら、リンが口火を切った。

「弥生、睦月。お前らさ、これからどうするつもりなんだ?」

 その問いに対して、二人は黙ったままだ。リンは、二人の様子に対して気にも留めずに続ける。

「あの戦闘を通して理解していると思うけどよ、お前らは不思議な能力を持っている。妖魔(ようま)を己の意のままに操ったり、風を呼び出したり、死人かどうかを判断できたり、そいつを己の手で殺す事ができる能力を、な。お前らに眠っていたその能力が目覚めちまって、今からどうすんだ? 今までみたいな暮らしはできやしねーし、その能力を我が物にしようとする不穏分子だって少なくはねーんだ。下手しちまったら、無関係な周囲さえも巻き込まれる可能性だってあんだよ。…要するに、あたしが言いたいのはな、二人とも」

 リンは一旦台詞をきって、二人を見据えてドスの効いた声で言った。


「今すぐにここで、『平和』と言う名の『日常』を捨てろっつってんだよ。お前らにはもう、それしか道が残されていねーんだ。それにお前らが今から歩むのは、あたしらと同じ魔の道でもあり修羅の道だからな。その覚悟、あんのか?」


 広場に流れる空気は冷気のように冷たく、もしも触れてしまえば自身が凍り付いてしまうほどだ。睦月は、リンを見据えて彼女に臆する事無く訊いた。

「あんた達についていけば、あの少年の正体も分かるの?」

「一応な。で、今から捨てんのか? 捨てねーのか? どっちだ?」

 そんな問いかけに対して、弥生は普段と変わらないのほほんとした口調で「良いよ。要するに、リン達について行ったら良いんだね」と答えて、睦月はリンの凄みに対して、『別に怖くもないし。私にとっては、どうって事ない』と言わんばかりの態度で、自分の左隣にいる留衣の頭を右手でなでながら「以下同文ね。ついでに、個人的に気になる事とかも色々とできたし」と返した。

 二人の答えを聞いたリンは、いきなり海賊の頭のように笑い出して体をくの字に折り曲げた。他の六人が呆気に取られる中、リンは笑い続ける。そして、彼女から笑いの発作(ほっさ)が去った後に「中々面白いガキ達だぜ」と呟くと、睦月がリンに訊いた。

「リン、あんたさっき『お前らは不思議な能力を持っている』とか、『妖魔を操ったり』とか、『風を操ったり』とか何とかって言っていたよね。まさかそれ…ってあんた達も持っているの?」

「ああ。まぁ、そのことについての詳細はいずれはなしてやるさ。あの仮面を始末したガキの事もな」

 リンは気さくげに言うと、夜空を見上げて「酒飲みたい」と呟いた。それを聞いた弥生と睦月以外の面子が、一瞬にして各自の得物に手をかける。突然の四人の行動に驚きを隠しきれない弥生に対し、睦月はいつものポーカーフェイスだ。それを見たリンは「冗談だっつの」と四人の方をにらみつけながら言った。すると四人は、半ば安心したらしく己の得物から手を放した。その様子に、弥生と睦月は一瞬で目配せした。

 ――どうやら、リンにアルコールを一滴でも飲ませたらダメみたいだね。

 ――でしょうね。さっきリンから、微かだけどアルコールが臭ったから。

 ――さすが料理上手だね、睦月。

 ――言っておくけれど。褒めても何もでないよ、弥生。


「おいお前ら、自分達の世界に浸っているヒマがあんなら現実に戻って来い」


 リンの台詞に我に返った二人が見た光景は、既に炎が消えて細長い煙を夜空へと送っている焚き火の跡と、各自の得物をしまっていた五人の姿だった。それを見た二人はお互いを見合わせると、すぐに立ち上がって尻などに付着した土を払いのける。

 リンは二人に「朝日が昇る頃にあたし達は出発するから、それまでに考えておけ。もしついて行きたかったら、村の入り口付近に来いよ」と言うと、己の体を(くだん)の青い炎でまとい、九尾の狐に姿を変えた。弥生はそれを見た瞬間、腰が抜けてしまいその場に座り込んだ。それに対し、リュウとヴァイスはリンのその姿に見慣れているらしく、文句一つ言わない。だけど、睦月だけは顔色1つ変えず目を見張ることもなくその状況を黙って見つめていた。楓が前に、留衣がウィリーを定位置に乗せていざ出発という時に、リンは深紅の瞳で睦月の様子を黙って見つめていた。

 ――あの様子だと、まさか(・・・)…な。いや、考えすぎか。最近激務続きだから、カンが鈍ってんのかもな。

 リンは頭を振って夜空を見上げると、二人を乗せたまま跳躍して村の方角へと飛んでいった。