第弐章 零話 −楔と封印−


 闇のように暗い洞窟(どうくつ)を、石壁に突き刺された松明(たいまつ)がわずかな灯りで石造りの階段を照らしている。その洞窟内を、五人の人間が歩いていた。

 先頭を歩いているのは、雪よりも白い髪をうなじあたりに団子にまとめている老婆だ。彼女の眼の色は雪のような銀色で、その眼は目尻が柔らかい目に収められている。

 その顔立ちは若い頃はよく異性に恋文が送られていたかと想われる位端整(たんせい)で、口元はわずかだが笑みが浮かんでいた。

 目の色よりも白いその手にはしわが刻まれていて、弓張り提灯(ちょうちん)を持っている。どうやら、松明だけでは足元まで見えないから不安から持参した代物らしい。

 服装は薄墨(うすずみ)の着物を粋に着こなしていて、腰に夜明けの空を思わせる薄い青の帯。足元は白い足袋(たび)に赤い鼻緒の黒い下駄(げた)を履いている。

 老婆の後ろを歩いているのは今よりも幼い睦月(むつき)だ。(かみ)型と眼の色は今と大して変化はないが、目つきは今と比べて若干幼さが見え隠れしている。

 服装は黒い道着に黒い(はかま)で、左腰に木刀を差している。足元は素足に直接草履(ぞうり)と服装も今と大して変化がない。

 睦月のすぐ後ろを歩いているのは、彼女と瓜二つの少女だ。漆黒(しっこく)の髪を高く結いあげてそれを白い鉢巻(はちま)きで結んでいる。彼女の眼の色も老婆や睦月同様銀色の眼で、その目の形は睦月同様に切れ長だ。

 服装は睦月と同じだが、左腰に木刀を差していない。睦月同様、素足に直接草履を履いていた。

 その少女の袴の(すそ)をつかんで石段を下りているのは、今より幼い留衣(るい)だ。今の彼女には無いあどけなさが表に出ていて、おびえながら周囲を見渡している。その髪型は今のように長く伸ばしていない上に頭に青い布を身に着けておらず、肩より少し上の位置で横一線に切りそろえられている。

 服装は、薄紅色の着物に黄色い帯。素足に赤い鼻緒の下駄を履いている。

 留衣の斜め後ろを、茶色の髪の少女が続く。

 その少女は茶色の髪を睦月と彼女と瓜二つの少女と同じぐらい伸ばしていて、睦月と同じように結んでいる。子供特有の幼さが残る丸い目に納まっている碧眼が、未知なる不安と好奇心でいろどられていた。

 服装は睦月と同じ上に左腰に木刀を差しているが、素足に直接紅色の鼻緒の下駄を履いている。

 睦月は、自分の目の前を歩いている老婆に向かって話しかけた。

「おばあ様、今から向かう場所とは一体何があるんですか?」

「それは、見てのお楽しみですよ。季冬(きとう)

 老婆は、睦月――この状況では季冬らしい。なので、以下睦月を季冬と指す――は、彼女の言葉に黙ってうなずいた。すると、季冬と瓜二つの少女が口火を切った。

「どうでも良いんだが…こんな所に洞窟があったなんてあの(・・)男を始めとする一族の連中に知られたら一大事だぞ。…ただでさえ、今氷重(ひょうえ)の家はあの(・・)男のせいで少しずつだが傾きつつあるっていうのに…。それに私達三人だけでなく、山吹(やまぶき)(さくら)も同席させるなんて…一体、お前は何を考えているんだ? 椿(つばき)

冬香(とうか)、おばあ様にはおばあ様なりのお考えがあるんだ。文句を言うんじゃない」

 季冬は自分と瓜二つの少女――冬香の方を向いてたしなめた。それに対して、冬香は肩をすくめて留衣を見る。

「留衣、いつまで私の袴の裾を引っ張っているんだ? 歩きづらくて仕方がないんだが」

「ご、ごめんね、冬姉(とうねえ)。だ、だって、ここ…暗くって」

「洞窟っていうのは、暗くて当たり前なんだ。少しは我慢して自分の足で歩け。そんなに怖いなら、櫻にすがってもかまわないぞ」

「アンタね、少しは実の妹と一緒にいようって言う気はないわけ? 少しは季冬を見習えばどうなの」

 一番後ろを歩いている少女――櫻の抗議を冬香は無視して足を進める。留衣は櫻と冬香を交互に見詰めると、季冬の所まで駆けていく。それを見た櫻と冬香は、一瞬でアイコンタクトを交わした。

 ――最初から季冬に任せた方が良かったんじゃない?

 ――かもな。留衣の季冬に対する態度は尋常じゃないからな。むしろ、執着のたぐいだ。

 それに気づいた季冬が、自分の足もとまで歩いてきた留衣を見据えてその左手を己の右手で握り、後方を歩いている二人を見据えた。

『何をぐずぐずしている? 早く来い』

 と、雪色の眼が訴えるように見えたので、二人はおぼつかない足で石段を下りて季冬の所まで歩いて行く。

 その様子を立ち止まって見つめていた椿は、四人の様子を見て目尻がかすかに熱くなった。

 ――華澄(かすみ)さん…ヴィンスさん…。私は、…あの子達に全てを打ち明けようと思います。…あなた達は反対するかもしれませんが、これが私の意志なんです。

 ふと気がつくと、季冬が椿の顔を覗き込んでいた。自分と同じ色の目が不安そうに揺れている。椿は微笑んで、彼の頭をなでてやる。

「ごめんなさいね…季冬。あなたは女の子なのに…」

「いいえ。気にしないでください、おばあ様。俺は、十分幸せです」

 季冬が満開の花のように微笑むと、椿はかすかに微笑んで提灯の火を消した。その行動に疑問を持つ四人が見た物は…


 天高く昇る満月と、上空からの月光を浴びて輝く万年氷だった。


 瞳が興奮を訴えている四人を見ながら、椿は万年氷にそっと手を添えながら言った。

「皆、今から教える事についてですが…。あなた達にとって来たるべき時がくるまで、絶対に誰にも話してはいけませんよ」

 その銀色の眼は、先程までとは違う一面を見せていた。その様子に驚きを隠しきれない三人に対し、季冬だけポーカーフェイスを崩していなかった。だけど、その眼は戸惑いと後悔に満ち溢れていた。

 ――これは、ただの万年氷じゃない…。おそらく、おばあ様は…これらを封じる際にあれを代償にしたんだ! 俺が、弱い上にまだ目覚めていないから…! 俺の、俺のせいだ!!



******



 頬に当たるそよ風と鼻孔をくすぐる散る間際の桜の香りで、睦月は眼を覚ました。

 ――何だ、夢か。全く、私らしくないな…昔の夢を見るなんて。それに弘化(こうか)にはもう、用事とか未練はないのに。いや、未練はないけれど用事はあるか。リンあたりに頼んで、二〜三日留衣と弥生(やよい)と一緒にちょっと行ってこようかな…。まぁ、あれら(・・・)を取って行くだけだし。

 上半身だけを起こして周囲を見渡すと、右隣に弥生が、左隣に留衣。留衣の隣に(かえで)が、その隣にリュウ、ヴァイス、リンが同心円状になって眠っているはずだが…何故か、リンの姿だけがなかった。睦月は大げさにため息を1つつくと、そばに置いてあった木刀を左腰に差してその場から這い上がって歩き出した。

 ――みんなが心配する前に、探して連れ戻して来ようか。全く、どこに行ったんだか。



 その頃。

 リンは、眠っていた場所から東に数メートルの場所にある巨木の根元に座り込んで空を見つめながら、何やら考えていた。

 ――遠くから見ていてはっきりしちゃいねーが、弥生の右二の腕と睦月の左手の甲にまとわりついていたやつはおそらく“封印術”だな。あの術は使える奴が今となっちまった段階では限られているが、『あの戦争』時には使える奴がかなりいた。まさかとは思うが…。


「こんな所で何考えこんでいるの?」


 背後からの声で振り向くと、そこには睦月が立っていた。リンは「別に」と呟いて巨木に寄りかかる。それを聞いた睦月はその場から立ち去る気配を見せず、巨木に寄りかかって空を見つめた。

 目の前に広がる空はいまだに未明を思わせる藍色のカーテンに覆われていて、明け方を思わせてしまうような薄い(だいだい)色のカーテンを引く気配がない。リンは藍色のカーテンを引いたままの状態の空を見つめながら、口火を切った。

「昨日さ、言ったよな。『弘化へ行く』って。そん時よ、お前…なんか憎しみと戸惑いが顔に出ていたぜ」

「え?」

 うろたえる睦月を見たリンは、腹を抱えて笑いだす。

「ウソだ、ウソ。悪かったな」

 それを聞いてそっぽを向いた睦月を見つめた時、空が薄い橙色のカーテンを引き始めた。それを見たリンはそれを見つめながら睦月に言った。

「お前見ていて思ったことだけどよ」

「何?」

 そっぽを向いたまま睦月が聞き返すと、リンは視線を空から睦月に移して彼女を見据えて訊いた。


「お前ってさ、腹に一物あんの?」


 それを聴いた睦月は薄く微笑むと、リンを見据えて「もしも、それが私にあるとしたら?」と、訊き返した。リンは彼女を見据えたまま

「もしそれがこっちの敵になるような事だったら、どんな事をしてでも止めてやる。もし逆だったら時と場合、まぁあれだ、それと状況によるな」

 と、リンは睦月に言うや否や立ち上がって汚れを払った。それを聴いた睦月は「そっか」と言って、(きびす)を返した。リンも彼女に続く。

 リンは、睦月の背中を見つめながらある人物を思い出していた。

 ――…お前も、睦月位の年になったらこんなに美人だったかもしれねーな。…なぁ、椿。