壱話 −望まなかった再会−


 宝治共和国(ほうじきょうわこく)の首都・弘化(こうか)

 その街は、この国の(まつりごと)や景気、物資の流通の中心部でもありこの国を統率するお上のお膝元である事が一目で証明できるほど活気にあふれている。その中心部に位置するお上が住む城まで一直線の通りを、一人の少年が周囲に気を配りながら走っていた。

 少年は外見が十歳前後で、鴉の濡れ羽色の髪を鉢巻(はちま)きで高く結い上げている。髪と同じ色の眼には焦りと不安が浮かび上がっていた。

 服装は黒緑色の羽織(はおり)に白の長着(ながぎ)、羽織と同じ色の(はかま)を着ていて足には白い足袋に灰色の鼻緒の黒い下駄(げた)を履いている。左腰にはシミ一つない服装とは裏腹に、かなり使い古された傷だらけの木刀を左腰に差していて何ともちぐはぐな印象を与えてしまう。

 彼は、物陰に隠れるとそこから通りを慎重気味に見渡す。すると、月白(げっぱく)色の羽織を着た青年達が通りを走っていく。左腰に太刀と脇差(わきざし)を差しているから、彼らがどこかの武家に仕えている(さむらい)である事が分かる。青年達は物陰から自分達を見ている少年に気づく気配すら見せず、何かを小声でささやきあうとその場から立ち去っていく。少年は左右を見渡してそこから出てくると、左腰に差している木刀を見つめて呟いた。

「…一刻も早く“氷重(ひょうえ)”の家に帰って来てくれ、季冬(きとう)冬香(とうか)…それに留衣(るい)……。でなければ、俺は…俺は…」

 少年は頭を振って頬を数回叩くと、青年達が来た逆の方向を駈け出して行った。



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 弥生(やよい)達が弘化の街にやって来た時には、太陽が昇り通りは様々な人でにぎわっていた。そのにぎわいぶりに、弥生はただ目を見開いて驚いている。ほんの数分前まで、参道を歩いている時には『足が痛い』だの、『疲れた』だのグチをこぼしていた彼女とは違うはしゃぎぶりだ。そんな彼女に対し、睦月(むつき)は苦笑しながら言った。

「弥生、はしゃがなくても通りは逃げないよ」

「うん…わかっているけどさ、すごいね、ここ! 人でいっぱいだもん!!」

「宝治の首都だからな、ここは。ペアメイン――ベルガモットの首都名だけどよ――なんか、ここの倍は軽くいくもんだ。今から人混みとかに慣れておけよ。はぐれんじゃねーぞ」

「うん、わかった」

「睦月と留衣もな…って、あいつらは?」

 リンが弥生に言った時、すでに彼女達の姿が見えなかった。それを聞いた弥生が口を開いた。

「ああ。睦月なら、留衣と一緒に街を見回るって」

 (かえで)にウィリーを預けてな、と弥生の後を続けてリュウが彼を指さしながら続けた。そこにはフードを深くかぶったままその場に座ってうなだれている楓と、彼の左肩に乗っているウィリーがいた。リンは、その様子を見て少し考えると

「ま、いっか。久しぶりの姉妹水入らずってやつだろうしな。宿が決まり次第、ウィリーをとばしゃー良いだろ。じゃ、食材買いに行こうぜ」

 と言って、散り散りになろうとした男性陣の襟首(えりくび)を捕まえて歩き出した。弥生も、黙ってリンについて行った。



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 その頃。

 弥生に伝言を頼んだ睦月は、留衣と共に大通りから路地へと続く道を歩いていた。睦月は留衣に自分の背中を任せると、自分の家の敷地内を歩くかのような無駄のない動きで目的地まで移動する。留衣は、襲撃にも対応できるように時々後ろに視線をやりながら前を歩く実姉(じつし)に黙ってついて行く。その間は、二人とも無言だった。

 やがて睦月が足を止めた時、留衣の目の前に懐かしい店がその場にあった。

 その店は、四方八方が黒い壁に覆われていて刑務所を思わせる。入口はそこら辺の店にあるような引き戸ではなく西洋風のドアで、その店と周辺の店とで何らかの距離を置いているような印象さえ与えてしまう外観。そして、ドアの上には黒のプレートに金文字で『Folhas coloridas』と書かれており、ドアに設置されている吊り下げ式のプレートには『OPEN』と表示されていた。

 睦月は躊躇(ちゅうちょ)する事無くドアを開けて中に入る。留衣も姉に続く。

 その店の店内は照明に丸めた和紙を被せているので薄暗く、奇妙な形の道具が壁一面隙間なく並べられている。そこにプラチナブロンドに碧眼の女性が、奥からやって来た。

 女性は外見がリンと同じ位、背中まであるプラチナブロンドの髪を一つに結っていて背中に流している。碧眼の眼は猫のような形だが、瞳の奥は全く笑っていない。鎖骨(さこつ)にある柘榴(ざくろ)の花のアザが鮮やかに白い肌を彩っていた。

 服装は薄紅の羽織を(そで)に腕を通さずに羽織っていて、その下に百日紅(さるすべり)地の(すそ)薄紅藤(うすべにふじ)色の(ふじ)が染められた着物を粋に着こなしていて、薄紫色の帯を腰に巻いている。足元は素足に直接草履(ぞうり)を履いていた。

 彼女は、二人を見るや否や「お茶を入れるさ。まぁ、睦月ほど美味くはできないだろうけれど我慢してほしいもんだね」と(はす)()な口調で二人を奥へと案内した。



 店の奥は彼女の住居スペースの一角らしく、店内ほど薄暗くはないが証明に和紙を被せてあるらしくほのかで優しい灯りが畳敷(たたみじ)きの部屋を包んでいる。周辺の壁は店内と違って何も飾られていない。精々、部屋の中央に使い込まれた茶色の卓袱台(ちゃぶだい)がある位と部屋の奥に襖がある位だ。

 部屋の卓袱台には留衣が座っていて、襖の向こう――台所だ――には、睦月と女性がお茶の準備をしていた。留衣は、少し緊張しているらしく周囲を見ていて、睦月は――女性がお茶を入れると言った時、手伝いを自らかってでたのだ――の質問に答えながら時々実妹(じつまい)が粗相をしないか流し目で彼女の様子を見ている。

 やがて、お茶の準備が整って留衣がいる卓袱台の部屋に二人が戻ってくると、留衣と睦月、女性が向かい合うようにしてお茶が入った湯のみを置いた。そして、女性が腰を下ろして二人を見据えるや否や口を開いた。

「改めて、お久しぶりさ。元気そうで何より」

「「お久しぶりです。柘榴さん」」

 プラチナブロンドの女性――柘榴は、猫のように微笑むと口を開いた。

「知っているかい? 最近、“氷重”の家の者が何やら本家で粗相(そそう)をしたらしいさ。現在、目下逃亡中…。こいつを真実か? それとも(いつわ)りか? …と取るのはあんた達次第さね」

 その女性を見据え、睦月が口火を切った。

「その話は…真実だと取って良いのでしょうか。柘榴さん」

「言ったはずさ。『こいつを真実か? それとも偽りか? …と取るのはあんた達次第さね?』…って。まぁ、最近月白色の羽織を着た連中がこの通りを駆けずり回っているのは、弘化じゃかなり知れ渡っている事さ。だけど、皆その事について追及しない。なぜだか分かるだろうね? お前さん達二人は」

 柘榴の台詞を聞いて、留衣が盛大に舌打ちをした。

「ああもう、何で昔の一件で懲りてねーんだよ、あのアホは! …これだから、嫌いなんだよ。武家って奴は」

 その口調は切れる際に出す口調。それ位、留衣は腹を立てているという事が推測できる。柘榴は、顔色ひとつ変える事無く二人を見据えて言った。

「まぁ、分かるけどさ…その気持ち。とりあえず落ち着くと良いさ、留衣。リンの奴も、どうせここに来ることだろうしね」

「え…知り合いですか?」
 留衣の驚いた台詞を聴いた柘榴は、肩をすくめて続ける。

「長年行方知れずのあんたらと会えたって事は、もしかして…ってね。まぁ、あいつとの関係は一言で言うなら腐れ縁さ。……椿(つばき)同様に」

 切なげにつぶやいた柘榴の台詞に対して、睦月は『椿』と言う名を聞いた時に顔をしかめて口をつぐんだ。

「…あの時、私がもっとあの男(・・・)の事やあの家(・・・)の事についてもっと深く知っていたら…あんな事(・・・・)には」

「その話はもうよしな。睦月」

 柘榴が右手で睦月の頭をなでる。その光景は、まるで何かをしでかして後悔する子供をなぐさめる母親のようだった。