壱話 −望まなかった再会− 弐


 睦月(むつき)留衣(るい)柘榴(ざくろ)の店にいる頃、弥生(やよい)達はと言うと…食材を求めて市場を歩いていた。

 前からリン、(かえで)、リュウ、弥生、ヴァイスの順に歩きながら市場の一角で食材の値段についてリンが店の主人と交渉(と言う名の言い争い)を繰り広げたり、弥生がガラの悪い男に路地裏に連れて行かれそうになったり(弥生がいないことに気づいた四人が見つけた時、真顔で「遅い」と言う彼女と白目をむいている男がいた。本人いわく『電気按摩(あんま)食らわせておいた』との事だった)、楓が留衣を侮辱(ぶじょく)するような台詞を言ったらしく、それを聴きとったウィリーにくちばしで頭を突かれてあやうく額から出血しそうになりながらも、五人は順調に買い物を続けていた。

 リンが店主と食材の値段について交渉している最中、弥生は背後から視線を感じて振り返るが、そこには誰もいやしない。弥生は依然交渉を続けるリンを一瞥すると、そこに向かって声をかけた。

「いい加減に出て来たらどうかしら? 私達はあなたを追い駆けている者でもないし、あなたに危害を加えるつもりは一切ないわ。だから、安心して出て来て欲しいと嬉しいんだけど」

 すると、蚊の鳴くような声で「お前、“氷重(ひょうえ)”の人間じゃないのか?」と弥生の耳に届いてきた。弥生は、声の主が発した“氷重”に少しだけ眉をひそめながら「違うわ。大体、あなたが言う“氷重”って一体何なのか分からないし」と答えると、声の主は弥生の答えに対して安心したらしくその場からゆっくりとした歩調で出てきた。声の主は、あの少年だった。

 彼は、弥生をまじまじと見つめるとその場から仰向けに倒れた。弥生は少年の方へと駆け寄り首筋に指を当てて脈をとると、彼の左手首を取って同じように脈をとった。

 ――息はあるし、脈もある。多分、“氷重”…って言うのと何らかのかかわりを持っているのかしら? あれ? “氷重”って…どこかで…。

「弥生、何してんだ?」

 振り向くと、そこには両手を腰に当てて弥生の肩越しに少年を見つめているリンと、両腕いっぱいに食材が入った袋を抱え込んでいるリュウとヴァイス、ウィリーを頭に乗せている楓の姿があった。

「あ、リン。背後からの気配を感じてみたら、その時さ、“氷重”がどうのこうのって言った後に…この子があそこの物陰から出て来たの。そしたら、いきなり倒れちゃって。一応脈は計っておいたけれど、私が見る限り異常はないよ」
「“氷重”? このガキ、確かにそう言ったのか?」

「うん。『お前、“氷重”の人間じゃないのか?』って」

「ふぅん」

 リンは弥生の証言を聴いて少し考えると、少年の首根っこを掴んで俵担ぎするとどこかへと歩きだした。取り残された四人も、前方を歩く彼女について行く。弥生は、リンについて行きながら先ほどの少年が言った言葉を心の中で呪文のように反復していた。
 ――“氷重”ね…。



******



 その頃、睦月達はと言うと。

 睦月が精神的に落ち着いた後で、柘榴に対する礼を兼ねて入れたお茶をその場にいる三人が飲んで一息ついた頃。

 留衣は、今までかついでいたリュックを膝の上に置いた後にファスナーを開けて中からIMI ジェリコ941とマニューリン MR73、9mmx19と.357Magnumが入った箱や色々な物を取り出し始めた。留衣の向かいに座って和綴(わと)じの本を読んでいた睦月は本腰に妹の行動に対して眉を顰めて見つめ、柘榴はお茶を飲みながら呑気に

「あたしがあんたの銃を見るのは後にして欲しいさ、留衣」

 と言った。

 すると、睦月が本に(しおり)をはさんで閉じるや否や、入り口の方をにらみつけながら剣道の足捌(さば)きで移動する。それを見た二人は懐から各自得物を取り出した。睦月が目線で二人に合図をすると、二人は黙って頷いた。

 睦月が木刀を取り出す準備をしながらドアノブに手をかけた時、ドアの向こうから弥生の声が響いた。


「ちょっと、何してんの? 睦月。さっさと殺気しまって、ドアを開けてくれないかな?」


 睦月は渋柿を食べた直後のような顔でドアを開けると、弥生が入って来た。今の弥生の睦月を見る目は『あんた、私達を物取りか何かだと思っていたの?』と言わんばかりの態度だ。彼女の後に少年を俵担ぎしたままのリンと荷物を両手に抱えたリュウとヴァイス、ウィリーを頭に乗せたままの楓が続く。

 楓が入った後で睦月はドアを閉め、リンが俵担ぎをしている少年を弥生しか感じられないような僅かばかりの殺気で睨みつけ、弥生と供に奥へと進む。睦月と入れ違いに奥から柘榴と留衣がやって来る。柘榴は、リンを見つけると『まるで、一生探し求めていた宝を今見つけた探検家』のように微笑むと

「久しぶりさ、第八部隊副隊長殿」

 と言った。それに対し、リンは

「茶化すな。柘榴」

 と一蹴した。柘榴は、肩をすくめると

「はいはい、分かっているさ。リン」

 と、猫のように微笑んだ。ウィリーを自分の所定の位置につけた留衣は

「お知り合いですか?」

 と柘榴に訊いた。柘榴は黙って頷くと

「言ったはずさ、腐れ縁だって」

 と言うや否や、猫のような足取りで奥へと消えて行った。

 リンは奥へ消えて言った柘榴を見届けると、少年を俵担ぎしたまま奥へと進む。買って来た食材を両手に抱え込んでいる二人も、店に入った途端に倒れた相棒を引きずる羽目になった留衣も先頭を歩くリンに続く。



 奥についたリン達は、座敷に上がる際に少年の寝床を確保した。

 市場で買って来た食材を土間に置いた後に卓袱台を部屋の隅に異動させ、座布団を二つに折って枕代わりに彼の頭をのせた。

 柘榴の羽織を布団の代わりにかぶせた後に、柘榴が部屋の奥から水を張った桶に手ぬぐいを濡らして絞り、折りたたんで彼の額にのせた。その後で、皆思い思いの場所に座ってから、八人は睦月が再び入れたお茶で一息ついた。

 少年を見つめながら、彼の一番近場にいる柘榴が口火を切った。

「それにしても…“氷重”の家の連中が通りを走りまわっている元凶がこのガキンチョとは…予想外さ」

「“氷重”?」

「何だそりゃ?」

 楓とリュウが口々に言うと、柘榴は意味ありげに睦月と留衣を見つめて二人に訊いた。

「あんた達…話していないのかい?」

「…えっと…それは、その…」

 口ごもる留衣を睦月と弥生、柘榴以外の面子が見つめる。睦月は留衣の頭を撫でながら口を開いた。

「留衣。それは、私が話すよ」

「え、でも睦姉(むつねえ)

「これは、私の義務だから、ね。でも、その前に」

 睦月は、横になっている少年を一瞥するとがらりと(・・・・)声を変えて言った。

いい加減に起きろ(・・・・・・・・)。俺が昔のように、お前の狸寝入りを見破れないと思っていたか? (しゅう)

 その場にいる全員が少年――柊に集中した時、いきなり彼は起き上がってバツが悪そうな顔をして「ちぇ、バレたか」と言った。

「相変わらず、狸寝入りだけは一流だな。その狸寝入りがあの人以外見破れないと思っていたか?」

「…やっぱり、お前も椿(つばき)バアちゃんの血を引いているんだな、季冬(きとう)。俺は、お前に会えて嬉しいぜ。留衣、お前にもな」

 柊に話を振られた留衣は、彼をにらみつけるとそっぽを向いた。睦月は、

「言っておくが、俺はあの家を継ぐ気なんぞ全く持って無いぞ。誰が何と言おうともだ。それに、俺は未だにお前達を許してはいないからな…ごめん、リン。今まで黙っていて」

 睦月が元の声でリンに詫びを入れた時、リンはいつもの調子で

「あたしらにも分かるように、説明してくれんだろーな」

 と言った。柊は、睦月の元の声を聴いた瞬間に目を見開いた。どうやら、彼女がれっきとした女性だと言う事に今まで気づいていなかったらしい。

 睦月は居住まいを正して静かに語り始めた。その場にいる全員、睦月が発する一字一句聞き漏らさんと耳を傾ける。

宝治(ほうじ)には、“四大武家”と呼ばれる存在があるの。そのうちの一つが“氷重”。私と留衣の――元実家でもあり、そこにいる柊の実家でもあるの。今から数十年前のある桜が咲き乱れる春の日に…一人の女性が“氷重”の家に嫁いだわ。彼女の名前は、椿。…またの名を」

 睦月は一旦口と目をを閉じて深く深呼吸をすると、目を静かに開けて口を開いた。


蘇芳(すおう)


 その瞬間、リンの眼が見開いて体が小刻みに震えだした。柘榴は、何事もないような動作で呑気に急須に入っているお茶を自分が飲んでいる湯のみに継ぎ足す。睦月と留衣、柘榴以外の面子が『何が起きているのかよく分からない』と顔に出してその場にいる中、リンは、小刻みに震える己の体に鞭打つように震える声で睦月に訊いた。

「お前…何で…何で、椿の“()()”を知ってんだ!」

「知っているも何も…椿って人は私と留衣、そしてそこにいる柊の…血縁関係で言うならば祖母に当たる方よ。そして、私と留衣に生きる術を叩き込んでくださった恩人でもあり、柘榴さんの知り合いでもあるのよ。今から私が語るのは、椿の…いいえ、お祖母様の生き様って所かしら」

 柊を殺気じみた目で見つめながら、睦月は続けた。


「私と留衣の実の父親でもある“四大武家”の末尾を司る“北の氷重”こと“氷重”家先代当主――水月(すいげつ)に殺される、その時までの」