参話 −北の“氷重”と姉妹の関係− 参


 それを聴いた時、弥生(やよい)以外の者達は空いた口がふさがらなかった。睦月(むつき)は一人一人の顔を見回して複雑そうな目でで見つめる。

 留衣(るい)実姉(じつし)の言葉を聴いて我に帰った。

「あー、あのね、その…睦姉(むつねえ)が自分から“氷重(ひょうえ)”の本家に帰りたいなんて言い出したから、つい…」

 両手を左右に振りながらしどろもどろに返すその様は中々愛らしかったが、言い訳の対象が実の姉ときたらどこか滑稽(こっけい)道化師(ピエロ)の印象を持ってしまう。

 留衣の様子を見ていたリンは、呆れたように見ていたが、顔面にありありと『あたしの見えない範囲で無茶すんな』と書いてあった。

 リュウとヴァイスもリンと同じように留衣の様子を見ていたが、とくにリュウは睦月の様子をじっと心配そうに見ていた。

 (かえで)に至っては黙ったままその場で傍観していて、(しゅう)は少し戸惑っていたが、反対したら睦月が目を据えて理詰めに反論してくるのは火を見るよりも明らかだったので口には出さなかった。

 柊は、睦月と留衣に色々と訊きたい事や言いたい事があった。

 だけど、少しずつ来ていた眠気に襲われてそれについては明日にしよう、と自分で結論付けて夢の世界へと旅立って行った。



 柊が眠っているのを弥生が見つけた時、留衣が欠伸をした。それを見たリンがお開きである事を言い渡して男性陣に柊を押しつけて襖を閉めた。

 睦月が押入れから布団を人数分取り出そうとした時、弥生が彼女の行動を制して自分達の分の荷物を部屋の隅に置いた。

 それを見た睦月が布団を取り出して人数分の敷布団と掛け布団を敷く。

 リンが留衣を横抱きにして――睦月が襖を開けた時、彼女はすでに夢の世界へと旅立って行った――襖に一番近い場所にある布団に寝かせてやる。そして、いつも留衣が髪をまとめるために使用している布を彼女の左手首に巻いてやった。

「ったく、寝顔だけは可愛い奴だよ。本当」

「リン、その…。今まで、妹の面倒を見てくれてありがとう」

「どういたしまして。なぁ、姉としては妹がなんであたしらと行動を共にしているのかは気になるんじゃねーの?」

 リンの意味ありげな問いかけに、睦月は微笑で返すとリンは目を細めて笑った。


「それは本人から直接聞きやがれ、お姉ちゃん」


 リンは欠伸をすると、留衣の左隣――襖から2番目に近い布団を確保してそこにもぐった。

 自分からネタを振っておきながら、いざ聞こうとした時にはぐらかす。

 2人は、リン・ダークと言う女がどんな人生を歩んでいるのかさえ見当がつかなかった。だけど、留衣を利用して2人を裏切る行為はしない事だけは彼女の言動から何となく察しづいた。

 弥生は欠伸を噛み殺すと、リンの左隣――襖から2番目に遠い布団を確保して潜り込んだ。やがて、3人分の寝息が聞こえてきた頃、睦月は襖から一番遠い布団にもぐりこんで目を(つぶ)った。

 あの時自分を見ていたリュウの目。

 あれは、実母の初音(はつね)が亡くなる直前に見た自分を見る彼女の目となんとなく似ていた気がしたからだ。

 初音は自分の夫、祝雄(ときお)の己の欲に対する忠実さに対して心身共に疲弊していたが、自分の子供と(しゅうとめ)、家の者を前にした時だけは気丈に振舞っていた。

 だけど、祝雄の欲の誠実さが“氷重”の家の財力その物を(むしば)んでいると一族の者達が気付いた頃には、初値はもう手の施しようがない位に病魔にその心身を犯されていた。

 睦月が己の弱さを痛感した時がその頃と、椿が己の“能力”を最大限に使用して“青水晶(あおすいしょう)”と“死龍神(しりゅうじん)”を“氷重”の家の裏手にある洞窟に封印した時だけだ。

 当時、まだ親の庇護が必要となる年の少女にとって、その2つの出来事はまさに幼すぎる心に癒える事のない傷を生みだした。



******



 隣の部屋に寝ているリュウは、敷いた布団に潜り込んでも眠気が来なかった。

 リュウが寝ている位置は睦月と同じ襖から一番遠い。襖から一番近い順に柊――一番非力な奴が生き延びるためには云々とヴァイスと楓が屁理屈(へりくつ)を言いだしてこの位置だ――、後はじゃんけんで勝った者順にヴァイス、楓、リュウと決まった。

 耳をすませると、階下から聴こえてくるのは火を取り扱う音と、工具を使用する音。おそらく、柘榴(ざくろ)が夜なべをして留衣の拳銃と小銃――本人はあれを狙撃銃だと言う――を整備しているに違いあるまい。

 リュウは起き上がると、後頭部を掻きながら寝ている楓達の頭を踏まないように細心の注意を払いながら部屋を出た。

 廊下に出て左右を見回した時、睦月と目があった。

 2人きりになるのは天正村(てんしょうむら)で初めて会った時とあの陽炎山(かげろうざん)での白蛇を目の前にした共闘以来なので、どことなく緊張した雰囲気が両者の間で漂う。

「…よぉ」

「…ども。眠れないの?」

「お…おう。お前もか?」

「…うん」

「外、出ないか?」

 途端に、睦月が半目になって廊下を進んで階段を下りていく。リュウも、彼女の後を追う。どうやら、睦月が言葉よりも行動で示したのは了承した、と言う意味らしい。



 リュウが階下に降りた時、睦月が草履を履いて待っていた上にカギを外してドアを開けて待ってくれていた。リュウが奥を覗いていると、柘榴が来そうな様子が無い。リュウも、自前のブーツを履いて睦月に続いた。

 夜は薄暗く、遠くにある提灯の明かりが(ほたる)と見間違えそうだった。睦月が夜風に己の髪をなびかせていると、リュウがそれに見入ってしまう。彼の視線に気づいた睦月は、切れ長の目を見開いて自分と同世代の少女のように笑いだす。

「何かおかしいか?」

「…ごめん。だって、さっきのリュウの表情が私と留衣が小さい頃に仲良かった男の子みたいだもん」

 笑うのをやめた睦月は、その男の子について話し始めた。

 昔、睦月が“氷重”の家で男装して『季冬(きとう)』として生活していた頃、“東の四大武家”としての付き合いで“山吹(やまぶき)”と言う家に親と一緒に赴いた時、自分と同じような処遇の男の子――家の事情で自分の性別を偽っていたという1意味だ――がいた事。

 それが縁で一時期だけその子と留衣と一緒に遊んでいた事。

 一緒に椿から剣道を習っていた事。

 防具をつけて打ち合っていた事。

 その子は周囲から『(さくら)』と呼ばれていたけれど、本名が和泉(いずみ)である事を教えてくれた。お返しに、睦月も自分の性別、本名、季冬のからくりを教えた事。

 弥生には『季冬』のからくりを教えている。留衣は、『季冬』のからくり自体知っている。柊も、『季冬』のからくりには気づいているに違いあるまい。

 だけど、無論、リュウ達には『季冬』のからくりを教えていない。

 睦月にとって『季冬』とは、もう1人の自分がいて初めて成り立つ者だからだ。

 ――だから、あいつが私の前に現れてくれるその時まで…隠し通さなきゃいけないの。

 睦月が一瞬だけ見せた横顔は、何かを必死で隠し通そうとしていた。リュウはそれが何なのか訊こうと思っていたが、訊くのをためらった。否、訊こうとは思わなかった。訊いてしまえば、目の前にいる少女の何かが壊れてしまう。少女自身が必死で隠し通そうとしている者も壊れてしまう。そんな気がしたからだ。

 そんな考えをはぐらかすように、わざとらしい声をあげる。

「…で、その…泉水って奴とはどの位歳が離れているんだ?」

「3つ。泉水の奴が上よ。あいつ、昔剣道の(はかま)を着ようとしたら(すそ)につまずいてこけちゃった事あるのよ」

「今時そんな事誰もやらねーよ」

 笑ってごまかしても。己の心は彼女に見えているのだろう、と。

 リュウは心のどこかで思った。

 すると、睦月がリュウの前髪をかき上げて額を指ではじいた。

「言っておくけれど、私はあんたに心配されるほど心が軟弱じゃないのよ」

 すると、リュウも睦月の前髪をかき上げて額を思い切り指ではじいた。睦月は痛さで(うめ)きながら(うずくま)ろうとするが、リュウが自分の両肩を掴んだのでそれは未遂に終わった。

「俺に何ホラ吹いてんだよ! 自分にホラ吹くんじゃねぇよ! 弱音吐きたきゃ素直に吐け、自分の中で溜め込むんじゃねぇぞ! 俺達仲間だろうが! 仲間って言うのはケンカしたら怒鳴り合ってその後で仲直りして、嬉しい事があったら笑いあうもんだろうが! そうやって他人と自分との間に勝手に壁作るな、ボケ! 俺はな、お前のそういう所が一番腹が立つんだよ!」

 睦月は両目に涙を浮かべて、口を開いた。リュウは、静かに両肩から手を離す。すると、睦月の体は力が抜けたかのようにその場で蹲った。

「本当は…“青水晶”と“死龍神”の封印を解いたら柊を返してペアメインに行こうと思っていたの。だけど、冷静に考えたらそんな事なんて出来やしない…!」

 睦月の話によると。

 柊の父親は、『季冬』に相当な執着心があるらしく、睦月も“氷重”の家で『季冬』を演じていた頃よく声をかけられたり彼の自室に連れ込まれそうになった事が何回もあるのだと言う。

 そのせいで、異性をそういう目で見てしまう上に自分を傀儡として“氷重”の家で成りあがろうとする彼が自分の正体を知った時、留衣か弥生を人質にとって自分を無理やりどこの馬の骨に嫁がされると思うと気が気でならないそうだ。

 それを聴いたリュウは、睦月の自分やヴァイスから弥生を守る態度や陽炎山から天正村へ帰る時のやり取りを思い出して納得した。

 夜風に当たって睦月が小さくくしゃみをした時、リュウは睦月の手を握って柘榴の店へと戻った。

 ドアに鍵をかけた時、リュウが睦月の頭をなでてやる。そして、一足先に2階へと戻って行った。



******



 2階に戻った時、リュウを待っていたのは弥生だった。弥生は、リュウの顔を見て意味ありげに微笑むと襖を閉めた。リュウも、寝室に戻って布団に潜り込んだ。

 睦月が戻って来た時、弥生はまだ起きていた。睦月が布団にもぐりこむと、弥生が睦月の方を見た。

「泣いても良いんだよ。もう、一人ぼっちじゃないからね。睦月」

 弥生の心遣いに深く感謝した睦月は、朝方まで枕を静かに濡らした。



******



 そして。

 翌日。

 彼らにとって。

 そして、睦月にとって。

 長い一日が始まった。