参話 −北の“氷重”と姉妹の関係− 弐


 銭湯から出て来た時には、もう空には漆黒のカーテンが引かれていた。金銀に光る星が空に瞬き、月が半分以上も顔をのぞかせている。

 所々に灯る提灯の優しくてほのかな明かりを頼りに、弥生(やよい)達はまた銭湯へ来た時と同じ並びで柘榴(ざくろ)の店へと戻って行く。

 その間、皆夜空に関心を向ける事無く終始無言だった。

 店に辿り着いた時には、周囲に人の気配はなく。既にここにも、提灯の優しくてほのかな明かりのみが点在していた。

 弥生達が柘榴の店の前にたどりついたのは、銭湯から出て半刻も経っていなかった。柘榴は他の8人が見守る中、鍵を開けて中に入る。その間も、柘榴を含む皆の間には沈黙と言う名の空気が漂っていた。柘榴は慣れた様子でドア付近の壁にある照明のスイッチをつける。そして、ドア越しに「入ってきな」と、中に入りたがっている8人に声をかけた。

 ドアの近くにいた(しゅう)(かえで)、リン、睦月(むつき)、弥生、リュウ、ヴァイス、留衣(るい)の順に店に入る。柘榴は、全員店の中にいる事を確認するとドアを開けて吊り下げ式のプレートをひっくり返す。そこには、『CLOSE』と表示されていた。

 柘榴がドアを閉めて鍵をかけると、留衣に向かって「今からチェックするから、銃を出しな」と指示を出す。留衣は黙って頷くと、ジャケットの内側に手をつっこんでIMI ジェリコ941とマニューリン MR73、背負っていたリュックを下ろしてシグザウアー SSG-3000が入っていると思われる鍵付きの黒革製のケースを柘榴に手渡した。

「大至急お願いします」

「あいよ」

 留衣から鍵を受け取った柘榴は、ニヤリと笑って店の奥へと引っ込んで行った。それを見たリンは「寝るぞー」と他の面子に号令をかけて、我先に階段を上がって姿を消した。その後を楓が続き、リュウが「楓、お前我先に行くんじゃねーよ」と文句を言いながら続く。その様子を見ていたヴァイスはあくびをして「…お前ら3人ともガキだな」と呟くと、弥生に「…先に行って休む。……何かあったら遠慮なく大声で叫べ、すぐに駆けつける」と言うと、階段を上がって姿を消した。

 睦月がヴァイスに続いて階段を上がろうとした時、柊に向かって言った。

「柊。明日の朝一に、“氷重(ひょうえ)”の家に帰る。その時に、ついて来て欲しい所があるから一緒に来て。反論は許さない」

「わかった」

「…言っておくけど、私はあんたの家族全員を許しちゃいないからね」

「許さなくていい。祝雄(ときお)伯父(おじ)さんの暴挙を止める事が出来なかったのは、僕を含めた僕の家族の責任だから」

 睦月はそれを聴くと「何大人ぶった言い方をしているんだか」と呟いて、階段を上がって行った。すると、留衣が柊に近づいて「睦姉(むつねえ)のあれは一生治らないよ、あたしもそうだけどね。…冬姉(とうねえ)は知らないけど」と言って、階段を上がって行った。柊は頭を掻いて階段を上がると、弥生が階段を上がって近づいて話しかけた。

「私が言うのもあれだけど、気にしなくていいよ」

「…うん。だけど、睦月と留衣が…それに、この場にいないあいつ(・・・)も、僕の家族を憎んで当然なんだ」

「…」

雪雄(ゆきお)のじいちゃんが祝雄の伯父さんの息がかかった人間に殺された事も、椿(つばき)のばあちゃんが祝雄の伯父さんの命令で薬と称した毒を祝雄の伯父さんの息がかかった医者に飲ませてられていた事も、祝雄の伯父さんの暴挙が原因で体の弱くなった初音(はつね)の伯母さんが、祝雄の伯父さんの子供を身ごもったまま死んだって事も、あいつ(・・・)や留衣が家を出たって事も、睦月が真夜中に祝雄の伯父さんと(めかけ)とその子供がいる家に押しかけて全員殺して逃げたって事を認めて、その業を背負わなきゃいけないんだ。だって、祝雄の伯父さんの暴挙を見て見ぬ振りをして、あいつらが苦しんで追い詰められている様を見て見ぬ振りをしていたのは女中や家弟子たちじゃない。僕と、僕の家族だ」

「…」

「…なんて睦月達の前で言ったら、タコ殴りだろうね」

「多分ね。それに、その時は睦月と留衣の実のお父さんが怖くて見て見ぬ振りをしていたんでしょ? その事を認めて、一生忘れない覚悟で生きていけばいいと思う。だけど、そこまで自分で自分を追いつめる位に精神(こころ)を壊してまでその業を背負って欲しいなんて、睦月や留衣は望んでいない。見ている方が、痛々しく感じるよ。…二人が苦しんでいる様を見て見ぬ振りをしていた事を謝罪して、二人が今まで背負っていた業を代わりに背負う…って、二人の前で言っても、あの二人が認めるかどうかは、分からないけれど」

 弥生は、まるで柊や睦月、留衣の心の中を見透かしたように答えた。柊が弥生を不思議そうに見つめた時、弥生は微笑んで「先行っているね」と言って、階段を上がって姿を消した。

 柊はその場に立ち尽くしていたが、顔を横に振って階段を上がって行った。



******



 弥生が階段を上がって今晩泊まる部屋まで入って来た時、その場にはそこに弥生と泊まる睦月、留衣、リンの他にリュウ、楓、ヴァイスの順に円を描くように座っていた。弥生が部屋に入ると、睦月の傍に座ると、リンが「睦月とお前に色々聞きたい事があってよ。こうして質問の場を設ける事にしたんだ」と言った。それを聴いた弥生が目を見開いて小動物のように首をかしげた時、ヴァイスが頬を赤くしてそっぽを向いた。すると、弥生以外が確信した。

 ――こいつ、弥生に惚れたんだな。

 それに気づかない弥生は、睦月の肩を軽く叩いて「何でヴァイスそっぽ向いたの?」と聴いた。それに対し、睦月は「さぁね」と適当にはぐらかした。そして、居住まいを正して「答えられるものには応えるわ。私達にとって、今のところそれが精一杯だしね。本音を言うと、留衣以外は信用していないのよ」と前置きした。それに対し、リンは苦笑いすると、「そりゃきついな」と返した。

 ヴァイスが黙ったまま挙手をして「できれば答えてもらいたい」と前置きして、睦月と弥生に訊いた。

「……。……弥生の“能力(ちから)”を封印していた“術”だが…彼女に“術”を施したのは誰だ?」

 弥生が答えようとするのを片手で制し、睦月はヴァイスを見据えて答えた。

「私よ。あの“能力”を封印する“術”は、昔おばあ様に教えてもらったものなの。私の記憶が正しければ、留衣には教えていなかったはずよ。確か、正式な名称は“封印術(ふういんじゅつ)”って言うんだっけ?」

 睦月は「今の聴きとれた?」リン達を見据えて訊き返した。ヴァイスは睦月の方を向いて黙って頷くと――どうやら、彼なりに納得したようだ――、欠伸を噛み殺して再びそっぽを向いた。睦月の答えを聴いた楓は、「本当に教えてもらっていないのか?」と訊いた。留衣は真顔で「教えてもらっていないよ」と答えた。

 次はリュウが手を挙げて「こいつは俺の個人的な質問だ」と前置きをして、睦月を見据えて訊いた。

「お前の元実家って、今どうなっている? あと、お前明日どこ行くつもりだ?」

 それを聴いた睦月は米神をかくと「いきなり答えづらい質問来たわね」と苦笑いした。そして、廊下の方を見て

「そんなに“氷重”の家の事情が知りたかったら、“氷重”の家の人間に訊けばいいだけでしょ。…いい加減に入ってきなよ、柊」

 睦月の声に反応したかのように、柊がゆっくりとした足取りで部屋に入って来た。睦月以外が驚きを隠せない中、柊はリュウの傍に座る。そして、深呼吸をすると静かに語り始めた。

「今の“氷重”は、俺の母さんが現当主代行を務めているんだ。昔から入り婿や嫁と女児は当主になれない掟で…もし、現当主が病気や事故で逝去した場合、次期当主にふさわしい男児が一族の中にいたら、次期当主の男児の母親が――その男児が元服するまでの間だけだけど――当主代行を務めていいんだ」

「留衣、入り婿って何だ?」

「婿養子の事です。師匠(ししょう)

 留衣とリュウの小声による会話が聞こえてくるが、柊はそれを無視して続ける。

「だけど、その男児に母親がいない、かつ、その男児の父親が入り婿だった場合は、その父親が母親同様に当主代行を務めていいんだ。今のところ、祝雄の伯父さんの息子――親戚のジイさんバアさん連中はまだ睦月が季冬(きとう)って言う男だって言う認識なんだ――で現在行方知れずって事になっている季冬が次期当主なんだ」

「季冬の本名が睦月であること、季冬が実は女だったって事が親戚のジイさんバアさん連中に知れ渡ったら、睦月は次期当主にならない」

「その代わり、現当主代行の息子の俺が次期当主になる。だけど、俺によっぽどの事がない限り、親戚のジイさんバアさん連中の子供が次期当主になるんだ。ここまでで、質問ある?」

 柊がその場にいる者全員を見渡した時、言いだしっぺのリュウが訊いた。

「前々から気になっていたんだけどよ、季冬って何だ?」

「私が男装する時に使う偽名よ」

 頬を朱に染めながら睦月が答えると、続きを柊に促す。了承した柊は、また語り始めた。

「今の“氷重”は祝雄の伯父さんの金遣いの荒さが原因で傾きかけていたけれど、母さんがどうにかして財政を立て直して、今は落ち着いているんだ。だけど、母さんの手腕に内心不満を持っている人物がいる」

 柊は一旦口をつぐんで見渡すと、再び語り出した。

「俺の親父だよ。親父は外見が年々体形がダルマみたいになっていっているおっさんで、中身は母さんがいない間は女中に助平な事をしたり家弟子たちに対して威張り散らしたりする事以外と、母さんがいる間はいつも母さんの顔色ばっかりうかがって媚売ることしか頭にない無能なんだ」

「いるぜ、軍にもそういう奴。戦場のイロハを全然知らねーくせに、威張り散らしてばっかりいる上官とか、あたしにセクハラしてくる上層部のスケベジジイとかな」

 リンが口を挟んで来た時、リュウが小声で呟いた。

「外見はともかく、中身がババアだって事を知らずに近づく奴ってバカじゃ…ぐぇ!」

 リンがリュウにヘッドロックを決めている中――リュウは顔を赤くしている――、柊は戸惑いながらも続ける。

「だから、睦月が無事だって事を確認次第自分の傀儡みたいに扱おうと企んでいると思う。…これでいい?」

「十分。でしょ、リュウ?」

 睦月がリュウに訊いた時、彼は顔を赤くしたまま――まだリンにヘッドロックをされていた――手のひらで畳を数回叩いた。そして、その様子を見てから改めて居住まいを正すと口を開いた。

虎穴(こけつ)()らずんば虎子(こじ)を得ず。私が明日やろうとしている事を一言で表したらそれね」

 睦月はその場にいる者達を見据えて言った。


「私は明日、“氷重”の本家に行って“死龍神(しりゅうじん)”と“青水晶(あおすいしょう)”の封印を解くわ。ついでに、柊の実の父親にちょっと(きゅう)を据えに行くけどね」