零話 −鐘は音を立てて鳴り始め− 弐


 白髪の青年――リュウがIMI デザートイーグルを使って放った弾丸は、妖魔の左(すね)に当たり近くの巨木の幹を貫き、巨木は妖魔がいるま後ろへとゆっくりと傾き、巨人がその場に座り込んだような音を立てて倒れてしまった。妖魔は、左脛に当たった弾丸によって作られた風穴の痛みに耐えながら匍匐前進(ほふくぜんしん)で先へ進もうとするが右脛に激痛が走った。よく見ると、いつの間にか右脛にダガーナイフが突き刺さり地面に貫通している。

「両足にダメージ受けちまえば歩くことすらできねーだろ」

『あ…ああ…あ』

「とりあえず、一旦ストップ…と。じゃ、俺の質問に答えてもらおうか」

『そ、その声…。お、お前は…“妖魔(ようま)黒犬(こっけん)”』

「だみ声で俺の通り名を呼ぶな」

 リュウがケルベロスの背から降りて、ダガーナイフの柄を軽くひねった。血管や肉が千切れる音と、骨が断ち切られる音が周囲に響く。

『ぎゃぁあぁあぁあああ!』

「俺の通り名を呼んだからだ。…これで大人しくなったか。改めて、今から俺の質問に答えてもらうぞ。黙秘権はなしだ」

 リュウは、妖魔の答えを聞かずに続けた。

「質問その一。ベルガモット王国とティートリー帝国の国境付近に位置するアベーユ村が三日前の夜に地図から消え去った。これはお前たちの仕業か?」

『…あ、ああ…そうだ』

「質問その二。何のために村一つ消した? 答えろ」

『え? そ、それは…』

 この時、リュウは妖魔を尋問(じんもん)する事に夢中で背後に気を配る事をすっかり忘れていた。

『お前達をおびきよせ、始末するためだぁ!』

 ――しまった。

 リュウは背後からの殺気に一瞬で気づいて取り乱したが、すぐに平常心を取り戻した。

『死ねぇぇぇ! “妖魔(ようま)黒犬(こっけん)”!』

 背後にいたもう一匹の妖魔がリュウに襲いかかった時、パーティ用のクラッカーを鳴らしたような銃声と同時に、妖魔が額から血を流して糸が千切れてもう使えなくなった操り人形(マリオネット)のように崩れ落ちた。

 その後ろには右手にマニューリン MR73のグリップを握っている少女と、彼女の後ろに黒いウール製の頭巾がついたマントを被っている少年と思われる人物がいた。

 少女は外見が八歳前後で胸部付近まで伸びた髪の毛を高く結い上げている。結び目に巻いている紺色の布が、髪ゴムの役割をはたしていた。 左耳の耳朶に紫色の丸いピアスが、右耳の耳殻に銀の細めのイヤーカフスがそれぞれつけられている。

 服装は黒いジャケット、その下は白い長袖のTシャツに黒いズボンで太く黒い皮製のベルトを腰に巻いていた。

 左肩には左足に紫色の輪をつけた大鴉(おおがらす)が乗っている。

 ベルトの右側にマニューリン MR73のホルスターとマガジンポーチが一つずつ、左側にIMI ジェリコ941のマガジンポーチが一つ付いていて、黒いバッシュを履いている。

 少女の背後の人物は、頭に被っている黒い頭巾のせいで顔は見えない。右耳の耳朶に黄緑色の丸いピアスがつけられているのは見えるが、他の四人のような銀の細めのイヤーカフスも右耳の耳殻につけられているようだ。

 服装は白いワイシャツに黒いズボンと質素なものだが、左右の太ももにダガーナイフのホルスターが見え隠れしていて、黒い革靴を履いている。

 リュウは、少女を見据えて半ば安心したように言った。

「助かったぜ、留衣(るい)

「油断大敵ですよ、師匠(ししょう)。あたしがもしこいつの後ろにいなかったらどうする気だったんですか?」

 留衣が自分の師に向かって呆れたように言うと、

「ま、そん時は」

 リュウは一旦台詞をきり、右脛のダガーナイフを外して妖魔の首に突き刺した。その傷口から血があふれ、地面へと染み込んでいく。

「こいつに止めをさして二匹目を素早く仕留める。そんだけだ」

「止めを刺していなかったんですか? そいつ」

 留衣が聞くと、リュウは黙って頷いた。二人の会話を黙って聴いていた黒頭巾が口を開く。

「留衣、どうでもいいからさっさと“()を解け(・・・)

「分かっているよ、(かえで)

 留衣は黒頭巾――楓に渋々従い、左手の指を鳴らした。

 すると、暗幕を張っていたかのような空から亀裂(きれつ)が走る。楓が頭巾を被り直すと、暗幕らしき物は全て消え去り――満天の星空が顔を出した後だった。

 リュウは、夜空を見上げて感心したように言った。

「いつも見ているけど…やっぱりすげーな。“(やみ)”系の術ってのは」

 留衣はマニューリン MR73をホルスターにしまいながら照れたように言う。

「そんな…この系の術は“闇”では初歩中の初歩ですよ。この術の場合、問題は維持することでして」

「うんちくはどうでもいいって」

 楓が二人の会話に割って言うと、その先を見据えた。

師匠(ししょう)達が来る」

 彼の言う通り、向こうからリンとヴァイスがやって来た。リンは顔をしかめながら何かを持っていて、ヴァイスは涼しげなポーカーフェイスで彼女の後を歩いている。留衣は妖魔の死体を蹴り飛ばして、リュウの近くまで歩いてきた。楓も彼女の後ろに続く。リンは三人の姿を見つけると、右手に持っていた何かを投げた。それは宙を飛び、二転三転してやっと止まった。それはよく見ると、先ほどリンがダガ―ナイフで切り裂いた妖魔の首だった。

 留衣の肩に止まっている大鴉が突然それに反応したので、それを見ていた彼女が訊いた。

「ウィリー、どうしたの?」

『いえ…主!』

 大鴉――ウィリーが主人の名を呼んだ時、反応があったのは楓だった。彼は、地面にうつ伏せになっていた妖魔が起き上がり、留衣を殺そうとしていた所を――妖魔の背後に忍び寄ってリュウのダガーナイフを引き抜くと、首と胴体を切り離したのだ。二つの傷口からまた新しい血が湧き出て地面へと染み込んでいく。

 その場にいた全員が驚きを隠し切れない中、楓のみ冷静にナイフの血振りを済ませて柄の方をリュウに向けて言う。

「どうやらこいつ、まだくたばってなかったみたいだ。…全く、お前一応犬なんだからさ、それぐらい気がつけよ」

「うっせーな」

「おい、楓。リュウをからかうのもその辺にしておけ」

 リンが楓をたしなめると、彼は飼い主に忠実な番犬のように大人しくなった。リュウが彼女に「リン、このままベルガモット経由で直帰か?」と訊くと、リンは唇の左端を吊り上げて「アホ抜かすな、リュウ。次の任務だ」と、彼に言った。

 リュウが顔をしかめると、リンが目を半分ほど細めて

「仕方ねーだろーが。次のは今済ました奴より緊急なんだからよ」

 と言って、懐から写真を二葉取り出して四人に見せた。

 一葉には(だいだい)色の(かみ)碧眼(へきがん)の少女が写っていて、着ている桃色の着物がよく似合っている。

 もう一葉には漆黒(しっこく)の髪に銀目の少年が写っていて、服装は黒い稽古着(けいこぎ)に黒い(はかま)。左腰に使い込まれている木刀を差していて、素足に直接草履(ぞうり)を履いている。

「このガキ二人がどうかしたのかよ?」

 リュウが尋ねると、リンがいつもの調子で答えた。

「ああ。二人とも“能力”を持っている可能性がある。あの連中(・・・・)にこいつらが見つかる前に、宝治共和国(ほうじきょうわこく)天正村(てんしょうむら)って言う所に行って保護。そんで、ベルガモット経由で直帰。これが次の任務内容」

「師匠、一つお聞きしたい事があるんですが」

 楓が一歩前に出て、リュウや留衣に口調を改めてリンに訊いた。

「僕と留衣は直帰するべきでしょうか?」

「いや、同行。たまにはお前らも実戦に出すべきだろーしな」

「分かりました」

 楓が納得して、リンに一礼すると留衣の後ろまで下がる。留衣が写真をよく見ると、二人とも視線がこちらに向いていない。おそらく、隠し撮りをしたのだろう。彼女は少年の写真をまじまじと見て自分だけ聞こえるように呟いた。


「――……よかった」


 リュウは少年の方が写っている写真をじっと見ながら呟いた。

「それにしても…どっかで見たことのある面してんな〜、このガキ」

 彼の呟きにリンが反応した。

「記憶違いなんかじゃねーの?」

 それに対し、リュウは首を振って断言する。

「ちげーよ。ぜってーにどっかで見たことがあるんだよ、このガキの面」

「あーはいはい。リュウ、お前は先に天正村へ行ってこの二人と接触をしろ」

「何で俺なんだよ? ヴァイスでも良いだろうが」

「あいつが上手く説明ができると思うか?」

「…へいへい。分かりやしたよ」

 リュウはケルベロスに乗ると、天正村へ向かって出発した。


 この時、この場にいた五人は知りもしなかった。その村に住んでいる一人の少女と一人の少年。この二人が、とても他人にはいえない秘密を共有している事を。


 そして、この場にいた五人には予想もしていなかった出来事が待っている事も。