壱話 −運命の歯車、回り出す− 弐


 玄関につくと、二人はそれぞれ木刀を置いて草履(ぞうり)を履いた。先に睦月)むつき)が履き終わって自分の木刀を再び左腰に刺す。

 弥生(やよい)は再び眠りにつきそうになるのをがまんしながら草履を履き終えると、彼を見据えて口を開いた。

「眠い」

「知っている」

「昨日もしごかれたんですけど」

「知っている」

「だから、今日は軽くして」

「二回目だが」

 と、睦月は一旦台詞を切って弥生を見据えてきっぱりと言った。

「それはお前のやる気次第だ」

 弥生の言い分を再び切り伏せた睦月は、戸を開けて家の裏手に回った。弥生も木刀を彼と同じように左腰に突き刺すように入れると、欠伸を口内でかみしめながら彼について行く。

 弥生が裏手に回って睦月を見つけた時、彼は庭の隅に設置されている井戸にいた。彼女がよく見ると、彼は慣れた手つきで井戸水を桶に移し替えている。背後の視線に気がついた睦月は彼女の方を向いて言った。

「これで顔を洗え」

「ありがとう。今日は優しいんだね」

 弥生が礼を言うと、睦月が彼女の方を見たまま言った。

「寝不足の状態で木刀を振り回されたらかなわんからな」

 ――そっちかい。

 弥生は桶に入った井戸水を両手ですくい、顔を数回洗った。水が冷たくて気持ちが良いので、眠気が一気に吹っ飛んだ。顔を洗い終えた弥生が辺りを見回すと、睦月の姿が見あたらない。

 すると、足音が聞こえて来たのでその方向へ視線を移してみたら彼が手拭いを持ってこっちに近づいて来た。

「ほら、これで顔をふけ」

「ありがとう」

 弥生は再び睦月に礼を言って、手拭いで顔を拭くと桶の傍に置いた。彼女は左腰から木刀を引き抜いて、その場で睦月を見据える。彼も、彼女を見据えなおした。二人はお互いに礼をすると、木刀を中段に構えて向かい合った。

 剣道の早朝稽古の始まりだ。



 お互いがお互いをにらみ合う。刃先で重ねあった木刀は押さえ続けられていて動く気配がない。二人は、それを重ねあったまま時計回りに移動した。すると、最初に動いたのは睦月だった。

 彼は、剣道の足運びを用いて弥生に近づくと素早く木刀を振り上げて振り下ろした。彼女の耳元で木刀を振り下ろす音が聞こえる。だが、弥生は睦月が再び木刀を振り下ろすよりも早く右半歩横へ言って、左手をずらして彼の攻撃を防ぐ。

 木刀同士の衝突しあう音が周囲に響く。二人はお互いの木刀を押し合っていたが、間合いをとってお互いを遠ざける。弥生はその場から木刀を振り上げた。だけど、彼女が振り下ろすよりも早く睦月が木刀で彼女の脇腹(わきばら)を寸止めする。

 彼女は数歩下がって彼と再び間合いをとって木刀の刃先を合わせた。

 睦月が自分の木刀の刃先を弥生のそれに当てて挑発するが、彼女はそれに応じない。この前の早朝稽古の際に、彼女は彼の挑発に乗ってしまい額を打たれた事があるからだ。

 弥生は木刀を中段に構え直すと、その場から睦月に教えてもらった剣道の間合いを用いながら木刀を振りかぶる。しかし、彼は彼女の動きを読んだかのように素早くそれをかわして背後に回り木刀で後頭部を寸止めすると言った。

「剣道の試合に後頭部の部位は無いが…実戦で後ろを取られるな、弥生」

 弥生は黙って後ろを向くと、睦月と三度中段に構えあい間合いをとった。彼が木刀を顔の横に構えると、彼女はその構えを見て体内に緊張が走るのを感じた。

 ――突きが来る。

 睦月が弥生に木刀で突きを繰り出そうとした。

 その時、

 一瞬、睦月の動きが金縛りにあったように動かなくなった。そして、彼は木刀を地面に落としてしまい右手で左手をにぎりしめてその場にうずくまった。

「睦月?」

「大丈夫だ、弥生…心配するな」

 睦月は弥生に安心させるように言うと、地面に落とした木刀を拾い上げた。そして二人は、残心(ざんしん)の姿勢をして、お互いに礼をした。

「今日の早朝稽古は終了」

「わかった。ありがとうございました」

 弥生は睦月の目を見据えて

「…睦月、左手が痛いと思うけど無理しないで」

 と言って、家の方へ戻って行った。



******



 弥生が家の中へ入ったのを見計らうかのように睦月はため息をついて左手の甲を見つめた。

 ――…ちくしょう、未だに左手が痛い。こんなにも早くうずくなんて………ありえない。

 睦月は、左手の甲を見ていた視線を家の裏手の奥へと移した。彼は平静を装いながらその方向へ声をかける。

「出て来いよ、いるのは分かっているんだぜ。今まで隠れているなんて最悪な上に最低だぞ。それとも、こっちから行くが…構わないか?」


「俺は別に、逃げも隠れもしていないけどな」


 突然、背後からの声に睦月は振り向いて目を見開き、二、三歩後ずさりした。

 ――うそだろ! 何でこの距離で気配を感じなかったんだ。ああ、こんな村に三年もいたからな。俺も今まで平和ボケしていた訳だ。

 睦月は、動揺をかくしながら、さっきまで自分の背後にいた白髪の青年を見据える。彼は青年を見据えて尋ねた。

「お前、何か用か?」

「おいおい、そう殺気立つなよ。可愛い顔(・・・・)が台無しだぜ」

「誰が可愛い顔(・・・・)だと? ふざけるな!」

 睦月が烈火のごとく逆上すると、青年は両手の平をさらしながら言った。

「冗談だ。俺は賊関係じゃねーよ」

羽織(はおり)の下に薙刀(なぎなた)稽古着(けいこぎ)を着ている奴が賊関係? そんなのは、言わなくても分かっている」

 落ち着きを取り戻した睦月が青年を見据えながら言うと、彼は目を丸くした。

「…へぇ。今まで俺の着ている格好を見抜いた奴はお前が初めてだ」

「よく見れば分かる事だ。改めて問う。お前、何か用か?」

 青年は居住まいを正すと、睦月を見下ろしながら言った。

「俺はこんな身形だけどな。ベルガモット王国軍軍関係者だ。お前の親かこの村の村長の所に案内を頼みたい」

「なぜだ? 理由ぐらい教えろ」

「大事な話があるんだ。お前とその家の住人込みでな」

 青年の要求に睦月は眉をひそめ彼の目を見据える。その金色の目は、強い意志に縁取られていて『こちらの意見や質問を今後一切受け付けない』と、言っているように見えた気がした。

 睦月は、彼に背を向けて言った。

「分かった。この家には今大人がいない。だから、村長の家に案内してやるよ。ついて来い」


 この瞬間、運命の歯車が音をたてて回り始めた。