弐話 −白布の矢−
――ねぇ、睦月。
――何だ。
――ここの空気…重くない?
――俺に聞くな、そんな事知るか。
弥生と睦月はお互いに会いコンタクトを交わしながら事の成り行きを見守っていた。
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「あれ」から……。
睦月は青年――彼は「俺は、リュウ。リュウ・ラフィッツだ」と睦月に名乗った――リュウと共に家に戻り、すでに黒い稽古着から普段着でもある桜色の着物に着替えていた弥生を捕まえて事情を説明した。(説明の後、弥生は睦月にしか聞こえないように『本人の前で言うのもあれだし、言ったら悪いかもしれないけどあえて言わせて。なんか胡散臭い』と言った。それは彼も同意見だったとは言うまでもない)
それから二人は、リュウと共に向かいの家――村長の家に案内した。
三人が家に来た時、ちょうど農作業姿の村長の細君が道具を取りに戻って来ていた。睦月は弥生に話したように彼女に事情を説明する。すると、細君はあわてて村長を呼びに自分の畑に向かって行った。
しばらくして、細君は彼女と同じ農作業姿の村長を連れて戻ってきた。彼は人が良さそうな顔でリュウに
「ええと、お客人や。ここで立ち話もあれですのでどうぞ中へ」
と言って、彼を家の中へ招いた。弥生と睦月は『これで自分たちの仕事が終わった』と思い家へ帰ろうとした。が、
「おい、お前らも俺の話を聞け」
とリュウに引き止められたので、渋々家の中へ入っていった。
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その頃、天正村の入り口から数km離れた林道、その近くにある林の奥では。
「あのヤロー、何やっているんだよ?」
リンが黒い長方形の機械片手にぼやいていた。楓と留衣、ヴァイスが彼女の言動を黙って見ている。
「リンさん?」
留衣が声をかけようとすると、ヴァイスが彼女の行動を制した。
「…放っておけ。留衣」
留衣がヴァイスにしぶしぶ頷いた時、リンは「あのバカ白髪何考えているんだよ」だの、「さっさとガキ二人連れてくるのなんて簡単だろーが」等とブツブツ呟いている。それを見ていた楓が
「どうやら、リュウが予定外の行動を取っているみたいだ。…力ずくで連れてきたら良いものを、あの白髪」
と呟いた。それを聞いた留衣は
「楓。言っておくけどさ、誰だって強制的に連れてこられたら嫌だと思うんですけど」
彼女は一旦台詞をきって、彼を見据えて訊いた。
「と言うより、あんたドサクサにまぎれてあたしの師匠をバカにしたのは気のせい?」
「お前の気のせいだよ。向こう見ず」
「ヘタレのあんたにだけは、そんな事を言われたくないんですけど」
楓と留衣がお互いメンチをきりあっていると、
「楓、留衣。その辺にしておけ」
それに気づいたリンが、二人をたしなめた。ヴァイスは「つきあう気が無い」と言わんばかりの大欠伸をすると、左目をつむる。すると、リンがヴァイスの方を向いて『今良い事考えた』と言わんばかりの口調で言った。
「おい、ヴァイス。お前リュウの所へ言って来い」
「…何でだ? リン」
「あいつにまかせっきりだったら交渉決裂になっちまうかもしれねーからだよ。だから、行って来い」
リンがヴァイスに言うと、
「………分かった」
彼は左目を開けると、重い腰をあげてその場から立ち去ってしまった。そして、リンは留衣の方を向いて
「留衣、お前今からリュウに連絡を取れ」
と言い出した。これに対し留衣は
「リンさん、師匠の所へはヴァイスが言ったと思うんですけど…」
「良いんだよ、別に」
リンが不機嫌気味に言うと、留衣は半ば納得したように黒い無線機を楓から受け取った。留衣は無線機のアンテナを伸ばし、それのダイヤルをいじり始める。が、雑音が多すぎて話すことができない状態だった。
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村長の家は、向かいにある弥生と睦月の家よりも一回り広い構造になっている。
彼は二人が自分の家に上がり込む事に一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに人の良い笑顔をリュウに見せた。二人はそれを見て見ぬ振りをした。それに対し彼はその表情を見逃さなかった。
――全く、一癖ありそうなジイさんだ。
村長は自分の細君に人数分の茶を用意させるように伝えると、玄関に上がって右にある部屋に入った。三人も彼に倣いその部屋に入る。
部屋の中は、上座に粗末な絵が描かれた掛け軸かけられている事以外は何のとりえもない殺風景な部屋だった。村長は掛け軸が飾っている床の間の前に座り、三人は入口に遠い順にリュウ、睦月、弥生の順で下座に座った。
弥生が座った時、それを待っていたかのように村長が口火を切った。
「ええと、お客人。確か」
「ああ。悪い、名前を教えていなかった。俺はベルガモット王国軍関係者のリュウ・ラフィッツだ」
リュウが村長に名を名乗ると、彼は安心したかのように顔をより一層ほころばせた。
「そうですか。わしはこの村の村長を務めております柳、と申します。このような小さい村なりのもてなしで申し訳ない」
「いや、気にしてはいない。柳殿、早速本題に入らせたいのだが」
リュウがかしこまった口調で村長――柳に言った時。タイミングがいいのか悪いのか分からないが、襖が開いて細君が盆の上に人数分の茶を持って部屋に入ってきた。彼女は柳、リュウ、睦月、弥生の順に茶を置くと、盆をもって自分の夫の斜め後ろに座った。
「こちらは、家内の卯月です」
「卯月でございます。遠い所からわざわざお越しくださいました」
「あなた様の隣が睦月、その隣が弥生です」
「睦月だ」
「弥生です。始めまして」
柳に紹介されて、彼らもリュウに頭を下げた。リュウがわざとらしく咳払いをすると、柳も居住まいを正して彼を見据えて尋ねた。
「では、リュウさんや。なぜこのような…この国一の都、弘化から離れた小さい村を訪れたのか。それをお聞かせ願えますかな?」
「わかった」
リュウは、居住まいを正して元の口調に戻ると柳の目を見据え
「俺は、国軍上層部の命令でこの二人――弥生と睦月をベルガモットへ連れて行こうと思っている。…それだけだ」
と言った。それを聞いた柳は己のあごに生えている白いヒゲをなでて
「なるほど。…ですが、二人の意志を聞かずにそこへ連れて行くのは、いささか酷かと思いますぞ」
柳が糸のように細い目を少しあけて、リュウを見据え返した。
――二人が自分の家に上がりこんだ時に、一瞬だけ顔をしかめていたくせしやがって…。よく言うぜ、このジジイ。
しかし彼は、そんな事を思いながらそれに対してポーカーフェイスを崩そうとせず続ける。
「確かにそれはあんたの言う通りいささか酷かもな、柳さんよ。でもな、仕方が無いんだ。国軍関係者の俺でも、上の命令っつーのは絶対だ」
リュウは、隣に座っている2人を指差しながら続ける。
「――――それに、こいつらの返答によっては……この村が一瞬にして地図から消える。下手すりゃ、この国ごと地図から消える――――って話もありえるぞ、柳さん」
村長は少しだけ開けていた目を半分に広げて、リュウを見据える。その目は何の迷いすらない、とてもきれいな金色の目だった。
そして、冒頭に至る。
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その頃ヴァイスは、リンの言いつけ通り天正村に向かって歩いていた。この道の先はこの国の首都・弘化が近いらしく、道行く者は行商人や帯刀している男、編み笠を被った女が行き交っている。
ヴァイスは視線を感じたのでその方向を見ると、一人の行商人と目が合った。行商人は即座に目を反らしたが、彼はその方向をずっと見ている。ヴァイスはその行商人に近づいて尋ねた。
「失礼。…天正村に行く道を尋ねたいのだが」
「天正村?」
行商人は天正村の名を呟くと、口にそっと手を当ててヴァイスに言った。
「なぁ、お兄さん。悪い事は言わんからこの道を引き返した方が良い」
「…どう言う事だ?」
行商人は、周囲を見渡すとヴァイスに蚊の鳴くような声で言った。
「あそこの村は、妖を神と崇めているってうわさがある村なんだ。下手に近づいたら、妖に食われちまうぞ。…それでも、行くと言うのかい?」
「…ああ」
「分かった。教えてやるよ、お兄さん。この道を真っ直ぐに行くと、道の真ん中にでっかい木が一本生えているんだ。その木の左側に、大人一人が楽に通れる道がある。その道を真っ直ぐに行くと天正村に着けるぜ」
「……礼を言う」
「何回も言うけどな、お兄さん。本当に気をつけろよ」
行商人はヴァイスに言うだけのことを言うと、そそくさと立ち去ってしまった。その者を見送った後、彼は懐から袋を取り出した。それを見ながら、周囲の者に聞こえないように呟いた。
「……この眼帯を外さずに、こいつだけで事が無事に……済ませられたら良いんだが、な」
ヴァイスは袋を再び懐にしまうと、再び歩き出した。