弐話 −白布の矢− 弐
柳はリュウの目を見ると、突然目を閉じてしまった。その様子を見た卯月は、リュウに向かって愛想よく笑ってその場を去って行く。
やがて襖が閉まると、弥生と睦月がそろって息を吐いたのでリュウは驚きを隠しきれなかった。
「はー。疲れた」
「本当にな」
「お前ら、大丈夫か?」
リュウの問いに答えたのは弥生だった。
「平気です、あの夫婦って昔からああだから慣れているんで。それとベルガモットへ行く件ですが、ちょっとだけ考える時間をください」
弥生は愛想よく笑いながら言うと、睦月も黙って頷いた。
「別に構わない。二人で飽きる位話し合って決めておけ」
リュウがそう言うと、弥生は睦月に目配せをして先に部屋を出た。彼は、リュウにしか聞こえないように尋ねた。
「お前がここにきた本当の理由は、あれらが存在する場所を探りに来たのか?」
「はぁ? 何の話だよ」
首をかしげるリュウに対し、睦月はポーカーフェイスを崩す事無く続ける。
「知らないならいい、忘れろ」
そう言うと、部屋を後にした。すると、タイミング良く村長が目を開けて
「リュウさんや。あの二人はどこへ行きました?」
と訊いたので、呆れて物が言えなかった。
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睦月が玄関に行って自分の草履を履いた時、外で弥生が彼を待っていた。彼が外へ出ると、弥生は引き戸を閉めてその後へ続く。二人の間には重い空気がただよっていた。それを振り払うかのように、弥生が口火を切った。
「睦月は、ベルガモットへ行くの?」
「…分からない。お前は?」
「行けたら、良いなって…思っているけどね」
「弥生。もし行くと決めた時は、俺の望みを果たして欲しい」
そう言うと、睦月は黙って上を見ていた。否、正確には自分達が住んでいる村長宅の離れ。その屋根を見ていたのだ。よく見ると、そこには天正村の住人が最も恐れる物――白い布をまとった矢が、屋根に突き刺さっていた。
「どうやら、次の花婿は俺のようだな」
睦月が覚悟を決めたように呟いた時、弥生の目から一つの雫が流れ落ちた。
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リュウは村長に弥生と睦月がすでにこの部屋を出た事と、二人がベルガモット王国へ行くのを考える事を告げた時には再び眠っていた。どう対処したら良いのか分からずとまどっていると、卯月が部屋に入ってきた。手に何も載せていない盆を持ち例の愛想笑いを浮かべている。
「弥生と睦月は?」
彼は村長に説明した事を彼女にも話した。すると、
「そうですか。リュウさん、せっかくいらしてくださったのですから今日はここに泊まるのはどうでしょう?」
「良いのか? こんな若い男を泊まらせて」
「かまいませんよ。うちは部屋が余っていますので、遠慮せずに」
「分かった。では、その言葉に甘えるとしよう」
分かりました。と、彼女は部屋の湯飲みを全て回収し、そこを後にした。リュウは村長を見て、部屋の横を見た。部屋の左側には障子が閉まっていてすきまから光がもれている。彼はほんの好奇心からか、障子を自分一人が通れる位まで開けてみた。
物はためしと思い、出てみると、そこは殺風景だが庭が広がっていた。奥には庭が道の方へ見えないように竹で組んだ囲いが広がっている。
――ここで茶を飲むのも悪くないな。
リュウは体ごと横に向ける。気持ち良いそよ風が彼の白髪を揺らして泳がしていった。すると彼は、何かを思い立ったかのように懐から黒い無線機を取り出すとアンテナを最大限に伸ばしてダイヤルをいじり始めた。
「おーい、誰か聞こえるか? もし、聞こえていたら返事をくれ」
リュウが無線機に向かって喋りだすと、
『…れ? ガガガッ 聞こえな…ガガガガガッ』
「おーい、どうした?」
『ガガッ も―― ピ――――― ―――しも―――――し、聞こえますか? 師匠』
「聞こえているぞ」
『あ、師匠。あたしは今、天正村の入り口から数km離れている地点です』
「留衣。お前さ、リン達と林の奥に引っ込んでいたんじゃなかったのか?」
『無線機の電波状況が悪いので、抜けてきたんです。師匠はどちらにいますか?』
「俺か? 俺は今、村長ん家の縁側」
『何でそこにいるんですか?』
「ヒマだから」
リュウが真顔で答えると、
『はぁ…』
と、留衣の呆れたような声が返ってきた。だけど、彼女は気をとり直す。
『あのー師匠、例の方々と接触しましたか?』
「おう」
『どうでしたか?』
「……二人とも『考えさせる時間をくれ』だと。しかも、そのうちの一人が訳分からん事を俺に訊いてくるしよ」
『訳がわからないって…どういう事ですか?』
「俺がこの村に来た本当の目的が、あれらの所在を訊きに来たのかとかだよ。訊いてきたのは真っ黒のガキの方」
と、訳が分からんと言わんばかりの口調でリュウが言った。それを聴いた留衣は、内心疑問を覚えながらも自分の師匠と交信を続ける。
『あれらって…一体何ですか? 師匠』
「俺が知るか。お前はどうなんだ?」
『……。全然知りませんよ』
リュウは、留衣が返答に一拍置いていたのを聞き逃さなかった。それについて追及しようとしたその時、玄関の方から足音が二人分聞こえてきた。
「報告は以上だ。一応聞くけどよ、そっちに誰がいる?」
『えーっとですね、あたしに楓、それとリンさんです』
「ヴァイスの奴はどうした? 任務放棄か?』
――任務放棄って…、師匠じゃあるまいし。
留衣はそんな事を思いながらリュウに言った。
『リンさんの指示で、一時間位前にそちらへ向かいました』
留衣の答えがきこえてくると、リュウはすぐに返事を返した。
「リンの指示? どういう事だ」
『リンさん曰く、“あいつにまかせっきりだったら交渉決裂になっちまうかもしれねーからだよ”…だそうです』
「あっそうですか。報告は以上だ」
それを聴いたリュウは留衣に棒読みで返した。
『はい。分かりました』
留衣の返事を聴いてからリュウは無線機の電源を切って懐にしまうと、横目で卯月と共に来た人物――ヴァイスを見やる。ヴァイスは卯月と二言三言言葉を交し合うと、彼女はその場を去り彼はリュウの隣に座る。そして、彼の様子を見ながら口火を切った。