弐話 −白布の矢− 参
「……いいご身分だな、お前」
「何がだ?」
「…そうやって、縁側に座っているお前を見ると…隠居生活をしている元軍人に見えるんだが」
ヴァイスはそう言うと、左目を閉じて黙り込んでしまった。
「おい、ヴァイス。俺は隠居生活をしている元軍人じゃねーよ」
「……だったら、何だ?」
ヴァイスは面倒くさそうに喋りながら、左目を薄く開けてリュウを見る。
「えーっと……その、あれだ。うん」
「…指示語じゃなくて的確な名詞を言え」
ヴァイスの台詞にリュウは戸惑いを隠せなかった。なぜなら、自分が今までやっていた行為が彼に先程言われた事に当てはまるからだ。リュウはその場にうなだれると隣にいるヴァイスに言った。
「すみませんでした。お前の言う通りです」
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卯月がヴァイスとリュウの分のお茶を持ってきた時、リュウはうなだれたまま縁側で横になっていた。
「リュウさんは、どうしたのでしょう?」
「…気にするな。…連日の疲れが限界に達したから寝ているだけだ」
「そうですか」
彼女はそう言って、ヴァイスの分のお茶を廊下に置いた。卯月が去る間際、彼は
「…こいつが、茶を飲みたがっていた。…悪いが、持ってきてくれないか?」
と言うと、
「わかりました」
彼女はそう言って、ヴァイスの分のお茶を廊下に置いた。去り際に彼に愛想笑いを見せると、もと来た道を戻っていく。ヴァイスは寝転がっているリュウに対してため息をつくと、出されたお茶を一口飲んでみた。…熱過ぎて、彼には飲めた物ではなかった。
――…何でこの茶はこんなに熱いんだ。それにあの老婆、所帯持ちのくせに俺を色目で見ているし。
ヴァイスが顔をしかめていると、背後で玄関の戸を開ける物音がしたので、彼はそれに反応して振り返った。リュウは縁側で眠ったままだ。ヴァイスの視線の先に、弥生が立っていた。
「ご、ごめんなさい。驚かせて…しまって」
「否…こちらの方が謝るべきだ。…驚かせてすまない」
「いえ、気にしないでください。村長は…寝ていますね。全く、昔から朝が弱いから無理して早起きなんかしなくても良いのに」
弥生は柳の様子を見て呆れたように言った。すると、卯月がリュウの分のお茶を盆に載せてやって来た。弥生は彼女を見つけると、近寄って耳元でささやく。ヴァイスは視線を庭のほうに移しながら聞き耳を立てた。
『…あの矢が、屋根に…』
『そう…。後で………』
『…お願い…します』
弥生は用事を済ませたらしく、そそくさと立ち去った。卯月は彼女を見届けると部屋に入って来て、リュウの分のお茶が入った湯のみをヴァイスの傍に置いた。
「お待たせしまって、申し訳ございません」
「否…気にするな。…それよりも、先程の娘は」
「この家の離れに住んでいる弥生と言う娘です」
卯月は吐き捨てるように言うと、盆を持ってその場を立ち去った。
「剣呑、だな」
リュウが起き上がると、ヴァイスが彼の方を向いて言った。
「…起きていたのか?」
「ああ。弥生が入ってきたときからな」
「…そうか」
ヴァイスは自分の傍に置いてあった湯飲みを、リュウの前に置いた。
「…あの老婆からだ」
「あー、そういや茶を飲まなかった」
リュウが湯飲みを持ち上げてお茶を一口飲んでいると、ヴァイスが懐から煙管入れと刻入れ、マッチの箱を取り出した。煙管を専用の入れ物から出すと、刻を器用に丸めて雁首に詰めながらリュウに訊く。
「…そんなに熱い茶が飲みたいのか」
「いや、平気。つーか、必ず熱い茶を飲みたいって訳じゃねーし。お前さ、猫舌?」
「…否定はしない」
ヴァイスはそう言って、マッチをすって火を雁首に近づける。そして、吸い口を口にくわえると、静かに息を吸って吐いた。
「あのさ、お前がここに来たのって…リンの所で煙管が吸えないからかよ」
「…吸うんじゃない、呑むのさ。それに違うぞ…俺はリンに言われたから来ただけだ。勘違いするな…」
「へいへい」
「リュウ、」
ヴァイスは自分の口から吸い口を放して、上座で眠り続けている柳を伺いながら彼を見据えた。
「先程の……弥生と言う娘と老婆の話をどう思う?」
「どう思う? って言われてもな……あー、それって白布の矢がどーだらこーたらかよ」
「…? どういう」
「聞いちまったんだよ、あの二人の会話を全部」
リュウはヴァイスの目を見ながら吐き捨てるように言った。
「……常に思っているが、お前は本当に地獄耳だな。さすが犬属性」
「まあー…な。ついでに、そう言うな。犬属性っつったら、リンだって同じじゃねーか」
「………あのリンの前でそれが言えるか?」
ヴァイスが呆れたように言うと、リュウは肩を揺らして苦笑しながら続けた。
「その中に…花婿とか、生贄とか。物騒な言葉が紛れ込んでいやがったぜ」
どう思うよ、とリュウがヴァイスの顔を見ながら言うと、彼はしばらく考え込んでいた。リュウが上座にいる柳の様子をうかがうと、彼は起きたらしくすでにどこかへ引っ込んでいた。やがて、ヴァイスが苦虫を潰したような顔をして口を開いた。
「…生贄。人身御供だな」
「??? 何だそりゃ?」
リュウがヴァイスに聞くと、彼は呆れたようにため息をついた。そして、大げさに咳払いをして説明し始めた。
「…そうだな。…普通、人身御供はある一定の年齢に達した者がなる。…例えばだ。ある所から矢が放たれ…その家に住まう者がある一定の年齢に達していればご立派な人身御供さ。ある国では…」
ヴァイスはリュウの顔をチラ、と見てから続ける。
「………人の新鮮な心臓を神に捧げるとも聞いたことがある」
「ゲェ。…最悪」
「そうだな。……もしも何かの花婿、つまり人身御供があの黒髪の小僧なら…どうにかしないといけないな」
「…おう」
「リュウ…顔色が悪いぞ」
「お前が人身御供について話したからだろうが」
リュウが噛み付くように言った。だけど、ヴァイスの次の台詞で全身に衝撃が走る。
「仕方が無いだろう。この村はまさに、人身御供を村総出で行っている可能性があるからな」
「ヴァイス、それってどう言う事だ?」
自分の問いに答えてくれない隣の人物に、リュウはため息をつくと自分の茶を一気に飲み干す。茶はいい具合に冷めていて、卯月が運んで来てくれた後よりも飲みやすかった。その様子を見ていたヴァイスは、自分の茶をリュウ同様に一気に飲み干して続ける。
「ここに来る途中、行商人に聴いた。何でもこの村は、妖を神と崇めているらしい」
ヴァイスは再び一気に言うと、煙管の吸い口を口にくわえる。リュウはそれを聞くと、鼻を鳴らして呟いた。
「フン、下らねー」