参話 −白蛇伝承の村− 弐
眠れないから広場へ行こう、と左手をおさえていた
睦月が言い出した。
弥生も突然の事で眠れなかったので、その誘いはとてもありがたかった。
弥生は、あの後睦月を家に帰らせると、自分の祖父母でもある
柳と
卯月の家へ足を運んだ。流れている涙は、自分が着ている着物の
袖でふき取った。
それから村長宅に着いて、弥生は先程自分と睦月がいた部屋を開けてみると、上座には自分の祖父でもある柳が正座の状態で眠っている。その縁側にはリュウと名乗った白髪の青年の他に、緑髪に隻眼の青年がいたからだ(リュウの隣にいるから、彼の知り合いなんだな、と弥生は判断した)。
彼と会釈を交わし、二言三言言葉を交わしていた時。自分の祖母でもある卯月が、湯気立ち昇る湯飲みをのせた盆を持ってこっちへやって来た。弥生は彼女に近づいて
『
白蛇様の花婿が、睦月に決まりました』
『分かったよ』
弥生は要件を済ませると、急いでその場を離れた。
――どうせ、私のことを未だに『孫』扱いしてくれないんだろうな。私は……“混ざり者”なんだから。
彼女は、自分と睦月が住む家――正確には村長宅の離れだが――に向かいながら考えていた。
父親が亡くなった後、生まれた町の生活が苦しくなり母親の生まれた村に戻ってきた時も。村の子供に『混ざり者』だの『この村から出て行け』だの、しまいには『化け物め』と子供の親にまでも罵られ、石や古木を投げられた時も。
母方の祖父母――この村の村長夫婦だ――は、弥生を全くかばってくれなかった。むしろ、耳をふさいで目をつむり、その事について彼女に訊かなかった。弥生は言いたかった。でも、言えなかった。初めて会った時点で彼女は悟っていたからだ。
――この老夫婦は、絶対に私を助けてくれない。
…と。
でも本当の事を言うと、彼女はかばって欲しかった。誇らしく堂々と、村人たちに伝えて欲しかった。
『この娘――弥生は、わしらの孫だ』と。
――ま、今更そんなことを言っても無理…か。
弥生はそんな事を思いながら、前を歩いている睦月について行きながらそんな事を考えていた。弥生は睦月に何かを言いたそうにしていたが、何も言いだせないでいた。その状態が広場まで続き、暗闇からリュウとヴァイスが現れた。
そして、現在にいたる。
双眼鏡から広場を見ていた留衣は、広場の人間が増えた事に気がついた。楓は手の平を後頭部に組んだまま、後ろの木に寄りかかって目を閉じている。ウィリーは、先ほどから彼女の左肩の上で大人しくしている。
「あれ、あそこにいるのは
師匠でしょ。あの白装束はヴァイスで――それに、あれはあの写真の人が二人か。四人でそろって何を話しているんだろう?」
留衣は後ろの楓をそっとうかがう。彼は、目をつむって身動き一つすらしない。三度双眼鏡越しに広場を見た留衣は、蚊の鳴くような声で呟いた。
「…。
冬兄、やっと会えたね」
******
最初に口火を切ったのは、弥生だった。
「あなた方も、こんな夜中に散歩ですか?」
「…ああ。……名前は教えていなかったようだな」
確か、そうでしたね。と、彼女は鈴のように笑った。……では改めて、とヴァイスが居住まいを正し
「…俺はヴァイス・J・オーシャン。ヴァイスでかまわない。それから、こいつは――…知っていると思うが、リュウだ。リュウ・ラフィッツ」
ヴァイスが名を名乗ったので、弥生も応じた。
「私は弥生と申します。そして、こっちが居候の睦月です」
弥生に紹介をされたので、睦月は二人に頭を下げた。その後、一瞬だけ後ろを向いて正面を向いた。
「………お前らに訊きたい事があってな」
「良いですよ。私たちでよければ、何なりと」
弥生は笑顔を作って承諾した。それを聞いたヴァイスが
「実は、その…悪いと思っていたんだが……聴いてしまったんだ」
昼間の会話を。とヴァイスが続けると、弥生はにっこりと笑って言った。
「知っていますよ。悪いとは思わないでくださいな」
あの話、村人以外の人間にばれてもおかしくは無いんですから。と付け加えて。
「では…話してもらえるか? それと、敬語は止めてくれ…好きじゃないんだ」
弥生は頷くと、話し始めた。
******
弥生の話によると。
昔々。天正村の奥に陽炎山と言う山がある。その奥深くには、楕円形の湖と広い広い草むらがある。そして、その奥底に一匹の美しい白蛇が住みついていた。
ある日、白蛇は娘に姿を換えて天正村のふもとまで降りて来た。本来の姿のままだったら、村人たちに何をされるか分からない。その対策のためだった。
白蛇は着物を脱いで寛政川で水浴びをしていた。すると、村の青年が釣りをするためにそこへやって来た。
その時青年は、そこで水浴びをしていた娘に恋をしてしまった。 白蛇は、青年に詫びるつもりで自分の正体をさらけ出して断った。しかし青年は、白蛇を恐れるどころか逆に結婚したいと言って聞かなかった。
熱意に押された白蛇は彼に
『満月の晩、この川にまた来て下さい。私が、娘の姿のままで来るまで』
と伝えて山へ去っていった。
それから、青年は満月の晩のたびに娘に姿を換えた白蛇と会っていた。青年と言葉を交わす内に、白蛇も青年の事が好きになっていった。でも、好きだとは言えなかった。
自分は白蛇、青年は人間。
身分が違う上に絶対に実りはしない恋だと分かっていた。だけど、白蛇はそれでも青年のことが好きだったのだ。 ……その現場を青年の父親が見ていたとは知らずに。
ある満月の晩。青年は、いつものようにこっそりと家を出ようとした。しかし、戸の近くに潜んでいた父親は彼を捕らえて
『蛇と結婚させる位なら、お前を納屋に閉じ込める』
と言って、彼を問答無用で納屋に閉じ込めてしまった。彼は白蛇にあえない寂しさで食事が咽喉を通らず、納屋に閉じ込められたまま亡くなった。
そして、青年が亡くなった事を悟った白蛇は怒り狂い、自分に秘められた力を用いて村を焼き尽くした。…しばらくして怒りが解けた白蛇は、生き残った村人たちに対して宣言して、己の住処へ帰って行った。
『白布をまとった矢が刺さった家は、若い男を我に捧げよ。そうしないと、我は再びこの村を焼き尽くす』
それからこの村は、“白布の矢”が山から来るたびに若い男を一人差し出すそうだ。生贄として。
******
「…“白布の矢”が屋根に突き刺さった家は、年齢を問わず男を差し出さなければいけない。そして、“白蛇の遣い”が男を白蛇の元へ差し出すまで、その男をどこかに隠したり村から追い出したりしてはいけない。なぜなら、その行為は白蛇の怒りを買ってしまうから」
弥生が話し終わった時、なぜか彼女はつらそうな表情を見せた。それを見逃さなかったのは睦月とヴァイスの二人だけだった。広場に微風が吹いた時、寝付けなかったリュウとヴァイスには心地よかったが、二人の頭の中は、それ所ではなかったからだ。
「下らねぇ。普通蛇つったら
生贄は女だろ」
「いや違うな。……普通、白蛇はメスの蛇だ。生贄が男だったら納得がいく」
ヴァイスがリュウに言った。すると、小声で弥生が何か言った。
「ただのおとぎ話。お母さんの話が本当なら、
そんな話昔は無かったらしいしね」
それをかろうじて聞き取れたのはその場にいた弥生以外の三人だった。睦月は、あさっての方を向いたまま呟いた。
「
…私は望みすら果たせずに、白蛇の贄になるんだ。まぁ、弥生のためと割り切れば悔いはないか」
しかしそれは、弥生とヴァイスしか聞こえなかった。そして睦月は
「弥生、帰るぞ」
と何もなかったかのように言って、その場を去った。弥生は、二人に
会釈をすると彼の後へ続いた。村の広場にはリュウとヴァイスの二人だけが取り残された。