肆話 −意思と意志− 弐
弥生は両目から雫があふれていくのを感じた。ヴァイスは黙って彼女の様子を見ている。
「昔から、この髪の色と目の色のせいでいじめられていたわ。『化け物』とか、『混ざり者、ここから出て行け』ってね! 私をいじめているガキの親にまで、ののしられて、石まで投げられたわ。
あの二人も、私がこの村でいじめられていた時だって、見てみぬ振りよ! 私を絶対孫と認めていないのよ、あの二人は! だって……お母さんが、死んだ時だって、私を慰めもしなかった。お葬式すらもあげずに、遺体を村の共同墓地に埋めただけ! それが娘を亡くした親のする事? それ以来、あの二人が…全然信じられなくなったわ!!
…睦月が来てくれて嬉しかった。ありのままの私を見てくれたから。つらい時もあったけれど、毎日がとても楽しかった。
それにリュウとあんたがこの村に来た時も、私が珍しいから睦月と一緒にベルガモットへ連れて行くのかと思った!
でもね、睦月と一緒だったら…怖くも、何とも無かった。だけど、あいつはどこかへ行っちゃった! あの強欲で色欲の塊の白蛇が睦月をさらったんだ! だから、私はもう…もう…」
弥生はおえつを混じらせながら叫んだ。
「生きる資格が全然無いのよ!!」
それを聞いたヴァイスは、素早く弥生の元へ走り
「いい加減にしろ、小娘!!!」
そう目の前にいる少女に向かって叫ぶと、
自分の右手で弥生の左頬を強く張った。そして、彼女を優しく抱きしめて耳元でささやく。
「出会って間もない俺が言うのもあれだが。虐められていた位で、何故そう追い詰められる? 大体、他人を虐める人間は人間じゃない。獣以下の精神を持っている存在だ。虐めを見てみぬ振りをする者も」
ヴァイスは自分の胸が濡れていくのを感じた。そんな事を気にせずに、彼は続ける。
「言っておくが、俺達がお前達をベルガモットへ連れて行きたいのはお前自身が珍しいからじゃない。もっと別の理由だ。今は話す事ができなくてすまない。…話すべき時が来たら、必ず話す。……約束する。…それに弥生、水面を見てみろ」
弥生は涙を浴衣の袖でふくと、彼の言う通りにした。そこには、自分の他に眼帯をつけた青年が写っている。
「こんなにもきれいな髪と目を持つ娘が、化け物であるはずが無いだろう。それに、もうお前は一人じゃない」
それを聴いた弥生は、再び涙があふれ出して来てヴァイスにしがみついた。彼は、彼女の頭をなでながらささやく。
「今のうちに泣くだけ泣け、弥生。今までずっと辛かったな」
弥生の後頭部に向けていた視線を、河原の方へ移す。そこには、ほおにご飯粒をつけたリュウがいた。
「……いつからそこにいた?」
ヴァイスが眉間にしわを寄せて、地の這うような声で訊くと、
「お前が弥生の頬を叩いた時からずっと」
と答えて、ご飯粒を取って食べて答えた。ヴァイスは、自分の眉間にしわが増したのを感じた。
******
その頃、例の林の奥では。
留衣は昨夜のことが気になってよく眠れなかった。それに付け加えるかのように、先ほど戻ってきた白い鳩――正確には、鳩の姿をした式神だ。今朝早くに、彼女が二人の目を盗んで放ったのだ――が戻って来てその報告を受けた時、一瞬だけ彼女の全身に衝撃が走った。
――冬兄、大丈夫かな? 何で、こんな時に限ってあたしは無力なの。あの時だって…あたしは…。
留衣が両膝をかかえこんでしゃがんでいると、マントのフードを深めに被った楓が彼女の背中にもたれてきて尋ねた。
「見つけた、留衣。お前、何かあったか?」
「え…な、何が? どうしたの?」
戸惑う留衣に対し、楓は続ける。
「いつものお前らしくないから、少し気になって」
「そう? あたしはあたしだよ」
明るくふるまおうとする留衣に対し、楓はそれを無視して続ける。
「昨夜からずっと上の空状態。それに、今朝から目がいつもより死んでいるのは気のせい?」
それには、留衣も二の句が告げられなかった。
「師匠が心配している。ついでに、僕も」
「…」
「…」
二人の間に沈黙が漂う。それを破るかのように、楓が口火を切った。
「あのさ、留衣」
「…何?」
「師匠が持っていた写真に写っていた二人のうち、どちらかとお前が何かしらの関係って事は知っているんだ…本当の事を言うと」
「楓。それ、誰から教えてもらったの?」
「師匠だよ。それを教えてもらった後に『あたしは、お前にこれ以上は教える事はできない。他の連中には、絶対に黙っておけ。留衣自身の口から、この事を話してくれる時までにな』って、箝口令を敷かれたけれど」
「……あっそ」
留衣がそっけなく返事をしても、楓はめげずに続ける。
「今回の件みたいに、兄弟がそこにいるとかいないとか、それ位は事前に教えておけって、僕はお前を責める気は全く無い」
留衣は黙ったままだ。楓はそれでも続ける。
「でも、辛い時には『辛い』とか、疲れた時には『疲れた』とか、うれしい時には『うれしい』って、言っても良いし、顔に出しても良いんだ。それがお前なんだから」
「訳が分かんないよ。それ」
突然クスクスと笑いだした留衣に、楓がその場で立ち上がると続ける。
「分からなくて良い。ま、あれだ。僕はお前をなぐさめに来たんだよ。ついでだけど、師匠がさっき陽炎山とか言う山に行った。僕達も、今すぐに後を追うぞ」
留衣が、今すぐに自分の師匠の後を追おうとしている楓に言った。
「それで、あたしをさがしていたんだ」
「そう言う事だ」
「はいはい…。あ、ウィリーは確かリンさんが借りて行っちゃった」
留衣が今思い出した、と言いたげな口調で言った時、それを聴いた楓はフードを被り直しながら言った。
「分かった、ウィリーと師匠が戻ってからすぐに出発しよう。『急いては事を仕損じる』と言うからな」
「だね」
楓は再びしゃがみこむと、ウィリーが戻ってくるまで留衣の背中に己の身を預けた。