肆話 −意思と意志− 参
「弥生お前さ、浴衣を着たまま泳ぐぐらいなら浴衣の下に水着ぐらい着ておけよ。浴衣が透けて肌…痛てぇっ!」
リュウが焚き火の準備をしながら呟くと、彼の後頭部に裏拳が襲った。
「……それ以上言うと…燃やすぞ、貴様」
ヴァイスがリュウの方を向いて眉間にしわを刻んだまま、地の這うような声で言った。それを聞いたリュウは、いつものヴァイスではない事を感じたらしく黙々とその作業を再開した。
弥生は、浴衣の上にヴァイスの黒い羽織を着て、そんな二人のやりとりを川原の石に腰かけて黙って見ている。浴衣が川の水によってぬれてしまったので、ヴァイスが貸してくれたのだ。弥生は最初それを断ったが、彼が貸すと言って譲らないので、その言葉に甘える事にしたのだ。
――無口なのか、饒舌なのか…。何だかよく分からない人だな、ヴァイスって。
弥生は、両手の平を合わせて息を吐いた。その様子を見たヴァイスは、リュウが集めた木の枝の束に近づいて懐からマッチを取り出した。慣れた手つきで火をつけると弥生の右隣に座った。
「……先ほどは、すまなかった」
弥生の左頬を張った右手でなでながらヴァイスが言うと、彼女が彼の右手に左手を重ねながら答えた。
「別に、気にしていないよ。まあ、あれは睦月が急にいなくなっちゃって…頭の中が真っ白になっちゃってね。『もう自分は必要とされていないんだ』って思いながら川に着いて、草履を脱いで川の中に入っていたら昔の事が急に思い出してきて…後は、ヴァイスの知る通り」
「…なるほど。俺に話したのは…全て、偽りすらないのか…?」
「無いよ」
弥生がきっぱりと答えると、ヴァイスは寛政川の方向を見ながらブツブツつぶやき始めた。
「…最悪だな。俺の両親や、あの一族よりも。……人間と言うのは、突然変異が生じてしまった同類を見ただけで距離をおきたがる…。………たかが、自分達の外見と少し違ったり、自分達に無い能力を所有したり、自分達よりも身体能力が活発なだけだと言う偏見に憑依された理由のみで。……下らないにも程がある。外見も中身も…自分達と同じだと言うのに…」
「…ヴァイス? おーい」
「放っておけ。あいつ、たまにあさっての方向を見ながらブツブツ呟くクセがあるんだからな」
いつの間にか戻って来たリュウが、弥生の横に集めてきた枝を置きながら彼女に言った。それを聞いたヴァイスがリュウを鋭くにらみつけながら、薄く笑った。ヴァイスが何かを思いついた際に、常に顔に出す表情だ。それを見たリュウは
「何か考えがあるのか?」
と尋ねると、ヴァイスは
「ああ」
と、チェシャ猫のように目を細めて笑いながら答えた。二人が、ヴァイスの傍によること数秒。彼から離れた弥生は嬉しそうに笑い、リュウは『本当に大丈夫かよ』と、半信半疑気味な目で訴えながら彼を見つめた。二人の反応を見たヴァイスは、
「決行は、今晩だ」
と、二人に宣言した。
寛政川の弥生達がいる向こう側にあたる、林の中。向こう岸にいる三人の様子を、白蛇の仮面を被った者がじっと見ていた。すると、
「そこで何をしている?」
背後からの声に反応し振り返ると、そこにはリンが口元にニヤニヤと笑いながら立っていた。だけど、その紅蓮の炎のような目は全く笑っていない。
服装は、昨晩の軍服を思わせる服装ではなくあの白衣に緋袴の巫女装束で、その上に黒い羽織を着ている。
彼女の傍にある若い木の枝にウィリーが止まっていて、仮面の者を鋭くにらみつけていた。
『…』
「あたしの質問に答えろよ、雑兵」
リンがそう言って戦闘態勢に入った。すると、仮面の者はリンを見据えて
『…お前には関係の無い事だ、“時空の狐”め』
と言うと、素早く印を結ぶ。すると、その者の周囲が竜巻におおわれた。リンはとっさに右袖で顔を隠しながら、竜巻に向かって左手でバタフライナイフを放つ。
竜巻が止んでリンが右腕を下ろした時、仮面の者は消え去っていた。目の前に、刃先にわずかな血がついたバタフライナイフが木の幹に突き刺さっている。
リンは木の幹からバタフライナイフを引き抜いて血振りを済ませると、折りたたんで懐にしまった。
「あたしの軍部の方じゃない通り名をご存知とはねー、やっぱり『あの連中』の配下だな。これで『連中』が絡んでいる事が確実かよ、めんどくせーにもほどがあるぜ」
リンはブツブツ言うと、あごに手を当てる。そして、喉元でくつくつと、とても楽しそうに笑うとウィリーを見て言った。
「ウィリー、待たせたな。お前のご主人様の所へ帰るぞ」
それを聴いたウィリーは、ガア、と鳴いて翼を動かすと、リンの左肩に乗った。彼女はそれを確認すると、林の奥へと姿を消した。