伍話 −お互いの秘密−
その日の夕方、林の奥。
楓と留衣は、少し早めの夕食を口にしていた。二人の周囲にはベルガモット国軍の軍用食と、楓が持参した飲料水。留衣が軍用食を一口かじる度に顔をしかめていると、背後からの気配を感じた楓が後ろを向いた。
「お帰りなさい、師匠」
「たでーまー。あー、つっかれたー」
リンは楓の隣にどっかりと腰を落ち着けると、近くにあった軍用食の袋を破ってそれを一口かじる。すると、即座に顔をしかめた。
「いつ食っても思う事だけどよ、やっぱしまじーわ、これ。今度元帥のジジイに直訴してやる」
「師匠、表向きは軍人のあなたが言う台詞ですか?」
「留衣、ウィリー貸してくれてあんがとな」
楓の台詞を無視してリンが留衣に言った時、ウィリーが双黒の翼をはためかせて留衣の左肩に止まった。
「どういたしまして」
留衣がにっこりと笑いながらリンに言った。
――ま、いいか。
楓は手に持っていた軍用食を黙ってかじる。すると、リンが懐をまさぐって無線を取り出してダイヤルをいじりだす。
「師匠? どうか」
なさいましたか? と、楓が言う前にリンが無線機のダイヤルをいじる手を止めると、二人に言った。
「お前ら、よく聞け。今回の一件、前回と同様『あの連中』が一枚かんでいやがるぞ」
それを聴いた留衣は「またですか」と、即座に顔をしかめながら手に持っていた軍用食を一口かじった。留衣の反応に対し楓は「前回といい、今回といい…まったくこりていませんね」と、リンに向かって言った。
「全くだ」
リンが意味ありげに楓を見ながら言った。彼女の視線に気がついた楓は、シニカルな微笑を浮かべながらいつもの毒舌で断言する。
「師匠。所詮、『あの連中』を率いているあの男はかなり子供なんですよ。精神面が」
能力面と体力面とでは、僕とどんぐりの背比べですけれどね。まあ、正確には僕の方が多少上ですけれど。と、付け加えるのを忘れなかった。それを聞いたリンは、眉間に少しだけしわを寄せながら反論を開始する。
「…楓、あたしが言いたいのはそっちじゃねーよ。もしもやつが現れたら、」
「『どうするべきか、分かっているよな?』…でしょう? 頭ではとっくの大昔に理解できていますよ。ですが、」
楓は、声のトーンを一段低くして続けた。
「問題はそれを実行に移して成功するか、否か、です」
その碧眼には、『自分の標的を躊躇せずに抹殺する』と言う、冷徹な意志が潜んでいた。それを見た留衣は、無意識に右腰のホルスターに眠っているマニューリン MR73のグリップをにぎりそうになった。それと同時に、リンの声が脳内に響く。
『留衣。もし楓が暴走した際止めるのはお前でもあり、あいつが禁を犯した際の狩人になるのはお前だ。良いな?』
留衣は目の前にいる師弟を意味ありげに見つめると、軍用食を口にくわえたまま自分のそばに置いていたリュックのファスナーを開けた。そして、その中から紫の布に巻かれた細長い包みを三つ取り出した。一つ目は本人の足の長さ位ありそうだが、二つ目は一つ目ほど長くはない。三つ目は、先に取り出した二つの包みよりも全体的に短く、細長い物だ。それを見たリンは、左頬を震わせながら留衣に訪ねた。
「る、留衣? リュックから何取り出してんの? お前」
「何って、最終兵器ですよ」
留衣がリンにきっぱりと答えると、細長い包みを持ったまま再び軍用食をかじり始める。それを聞いた師弟は、留衣に倣って黙々と軍用食をかじり始めた。林の奥に軍用食をかじる音と飲料水を飲む音、火に焦がれた木々の爆ぜる音のみが聞こえる。
軍用食をなんとかして食べ終えた留衣は、リンを見据えて訊いた。
「リンさん、これからどうしますか?」
留衣よりも先に軍用食を食べ終えていたリンは、包み紙を両手で丸めて左唇を歪めると
「殴り込みに決まっているだろーが」
と自分の弟子とその相棒に向かって言い放つと、その場で立ち上がって自身の肉体を青い炎でまとう。
「お前らも早く来いよ」
炎の中からリンの声が聞こえた時、青い炎は空へと浮かび陽炎山の方向へ向かって行った。青い炎を見送った楓は、自分の相棒の方へ視線を移す。
「留衣」
「ウィリー!」
留衣がウィリーに呼びかけると、ウィリーは黒い炎をその身に纏う。黒い炎が消え去った時、ウィリーの姿は体長が留衣の倍以上ある妖鴉へと変化する。楓が両足で焚き火の火を消すと、留衣がウィリーの背に飛び乗った。留衣が飛び乗った後、楓も片足を踏み込みその勢いで跳躍して彼女の後ろに収まった。楓が乗ったのを確認した留衣は、前方を向いて呟いた。
「陽炎山へ」
『御意』
ウィリーは一対の黒い翼をはばたかせると、陽炎山の方向へ飛んで行った。
一方。
一足早く陽炎山へたどり着いたリンは、自身に纏わせていた青い炎を消すと陽炎山を見上げた。山は全体的に暗く、上空は霧に包まれて山頂が見えない。内部はおそらく、太陽の光すら届かないぐらい木々が生い茂っているのだろう。
リンは、入り口からの妖魔の気配と臭いに顔をしかめた。
――ひでー臭いだ。ったく、何人の人間を白蛇に食わせたんだ。
すると、前方から妖魔の大群がこっちへ来る音が聞こえてきた。リンは唇を歪ませると、懐から橙色の布に巻かれた球体を取り出す。
「…へぇ。そんなにてめーらあの世へ逝きてーらしいな。絶対に後悔すんじゃねーぞ!」
そう彼女が叫んだ時、橙色の宝玉は対の鈎爪付きの手甲に変化し、彼女の両手に収まっていた。鈎爪は4つの銀色に輝く爪が橙色の手甲から伸びていて、手甲の部分は真ん中に橙色の半球がはめ込まれている。
妖魔がこちらに駆けて来る音を聞いた時、リンは両腕を交差させた。
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時を同じくして、天正村。
弥生は、家にヴァイスとリュウを上がらせると自室へ引っ込んで行った。弥生がこの部屋に戻ってくるまでの間、二人はいろりを囲んでいる。部屋の中央に設置されているいろりには鉄製の鍋が宙吊りになっていて、木蓋にあいている穴からは、水蒸気が上空の空気と混ざり合い消えていく。
ヴァイスは自分が弥生に貸した羽織を返してもらい、いろりの炎でそれを乾かしている。リュウは、そんな彼の様子を黙って見ている。すると彼が鼻を数回鳴らすと、顔をわずかにしかめた。
「……どうした?」
「血と…肉の臭いだ。誰かがこの付近で妖魔を斬り刻んだたな」
全く、予想外の事態が起こってんなー、とリュウは続けて言うと、ヴァイスは納得したように頷いて羽織に袖を通した。その様子だと、それが乾いたみたいらしい。
「ヴァイス」
「……何だ?」
「気にしねーのか?」
リュウの質問の意図を感じ取ったヴァイスは、いろりの炎を黙って見つめている。その目には、元々の色に炎の色が移っていた。ヴァイスは眼帯を前髪越しに右手で押し付けながら、呻くような声を出しながらリュウの方を向いて答えた。
「…………。…別に」
リュウはヴァイスの答えに肩をすくめると、黙っていろりの炎を見つめた。