伍話 −お互いの秘密− 弐


 リュウとヴァイスがいろりの部屋にいるその頃、弥生(やよい)は自室で剣道の黒い稽古着(けいこぎ)に着替えていた。上の道着は既に着ていて、黒い(はかま)――正確には、睦月の予備の物で彼から譲ってもらった物だ――の(ひも)を結びながら、壁に立てかけてある青い布に巻かれた大小の細長い包みを見つめていた。それと同時に、睦月(むつき)の声が弥生の脳裏をよぎる。

 ――弥生。もし、俺が危険な目にあった場合、あの二人(・・・・)にこれらを渡してほしい。

「睦月…」

 弥生は睦月の名前を呟くと、大小の細長い包みを意味ありげに見て部屋を出た。廊下をまっすぐに進んでいろりの部屋へと入ってくる。

「お待たせ」

「おー、気合い入ってんじゃねーか。じゃ、さっそく」

 リュウが立ち上がろうとした時、弥生が彼の行動を制した。

「ちょっと待って。『腹が減っては戦ができぬ』って言うでしょ。ご飯食べていこうよ」

 ね? と、有無を言わせない弥生の微笑にリュウはただ頷くしかなかった。



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 リンより一足遅く陽炎山(かげろうざん)の登頂口へたどり着いた留衣(るい)(かえで)は、ウィリーの背中から降り立った。楓が顔をしかめてマントで顔の半分をおおった時、己の身を黒い炎で覆い元の姿に戻ったウィリーがわずかに身震いをした。それを見た留衣は、自分の使い魔に向かってたしなめる。

「ウィリー、やめな」

御意(ぎょい)

「ん。楓、行ける?」

 留衣が楓に向かって尋ねると、彼はマントで顔の半分をおおったまま答えた。

「暴走するほどじゃない。大丈夫だ」

「そっか。辛かったらいつでも言いなよ」

「お前に言われなくても分かっている」

 いつも通りの楓に安心した留衣は、ウィリーを自分の定位置に乗せて彼と共に陽炎山へ登る。

 陽炎山の山中は、夕方の段階で既に暗かった。行く道々で二人と一匹は、妖魔(ようま)の肉片がそこら中に転がり道という道が真っ赤に染まっている。二人と一匹は肉片を頼りに山中を進むと、両手に鈎爪(かぎつめ)付きの手甲を装着したままのリンが待っていた。刃と手甲の部分は妖魔の血で赤く染まっているが、本人には返り血ひとつもついていない。

「遅かったな。お前ら」

師匠(ししょう)…少し、やり過ぎです」

「楓。あたしはな、こうでもしねーと自分の気が済まねーの」

 行くぞ、とリンは背後の二人に言うと、鈎爪の血振りを済ませて足を進めた。



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 その頃、天正村(てんしょうむら)の中にある弥生の家では。

 弥生はいろりに吊られている鍋の中身を木製のお玉ですくい、お椀に入れてヴァイスに差し出した。

「はいどうぞ、ヴァイス。熱いから、冷ましてから食べた方が良いと思う」

「…感謝する」

「うめー…こんなにうまい飯初めてだよ」

 リュウがが既に弥生に入れてもらった汁物を飢えた犬のように食べながら言った時、弥生はわが耳を疑った。

 ――あんたら、一体どんな食生活を送ってきたの?! って、これ…おいしいのか。食べられない事も無いみたいだし…。

 弥生はそんな疑問を口に出さず、自分の分もよそって箸をつけた。

 三年間という長くて短い月日の間、弥生は睦月に武術だけではなく家事全般をある程度叩き込まれたので腕が上がったという自覚が全く無かった。なぜなら、睦月は弥生が作った物に対して常に的を射た意見しか言わず、一度もほめてくれなかったからだ。

「……弥生」

「ふ? はひ、バヒフ(ん? 何、ヴァイス)」

「……悪かった。食べ終わった後に訊く」

 弥生はこくりと頷くと、自分が作った汁物を黙々と食べた。ヴァイスも、汁物が入ったお椀の前で両手を合わせると箸を動かす。部屋中に、箸を動かす音と汁をすする音、具を噛んで飲み込む音と囲炉裏の中で火が踊る音のみ聞こえる。

 この場で一番先に食べ終えたリュウが箸とお椀を置くと、いきなり貧乏ゆすりを開始した。ヴァイスはその様子を見て箸をはやめず、自分のペースで食べ続けている。弥生は、リュウの子供っぽいしぐさに対して内心苦笑しながら食べ続けた。

 ヴァイスが箸を置いて「ごちそう様」と呟いて一息ついていると、弥生はまだ食べ続けていた。彼はそんな彼女の様子にわずかながら微笑むと、

「弥生、急いで食べようとするな。焦らなくて良い」

 弥生は汁物を食べながら頷いた。ヴァイスはそんな弥生の様子を見て微笑んでいる。その2人の様子を見ていたリュウは

 ――お前ら新婚さんですか。

 貧乏ゆすりを続けながら内心そんな事を思っていた。ようやく弥生が食べ終わってお椀に箸を置いた時、ヴァイスは彼女に向かって尋ねた。

「……弥生、白蛇(はくじゃ)から睦月を救出するとしよう…。これから…どうする?」

「どうって…言われても…。まだ、決めていない。それに、」

 弥生は意味ありげにリュウの方を見た。それの意図を知った彼は「お前らの方で徹底的に話し合っておけ。俺達はお前達の意思をできるかぎり尊重(そんちょう)するつもりだ」と一蹴(いっしゅう)する。それを聞いた弥生は「そうさせてもらうね」と返した。
 そして、立ち上がると

「武器を取って来る。悪いけど、ここでちょっと待って」

 と二人に伝えて部屋を出た。

 弥生は廊下を進むと同時に、睦月との生活を思い出していた。



 ――あのな、木刀はそうやって持つ物じゃないんだよ。手の位置が逆。

 ――え? そうなの?



 ――ねぇ? どう? それ、結構自信があるんだけど。

 ――…また砂糖と塩入れ間違えている。

 ――え? うそ! …本当だ。



 ――また腕があがったな。

 ――いやー、それほどでも〜。

 ――俺はお前をおだてていない。ここで調子に乗ったら次に失敗するぞ。ついでに、もう二度と砂糖と塩を入れ間違えるなよ。

 ――うっ…! そ、そんな事もうしないって!

 ――本当だろうな?

 ――……うん。



「睦月…」

 弥生は涙をこらえると、自分の部屋の(ふすま)を開けて青い布に包まれた大小の細長い包みを右腰に、愛用の木刀を左腰に差した。その(あお)い目は一切の躊躇(ちゅうちょ)が無く、覚悟の炎が燃え上がっていた。

 廊下を出て囲炉裏の部屋に戻ると、そこにはヴァイスとリュウが待ってくれていた。

「遅れてごめん」

「…気にしていない」

「そっそ。仲間を見捨てるほどバカじゃねーし」

 弥生は土間の方に駆け寄って、そこにある水瓶から柄杓で水をくみ上げると、囲炉裏の火を消した。そして、リュウとヴァイスの方を向いて宣言した。

「行くよ」

 その言葉に、二人は黙って頷いた。