伍話 −お互いの秘密− 参


 陽炎山(かげろうざん)の奥の奥。そこの木一本生えていない草原の中心部に、誰かが寝かされている――睦月(むつき)だ。外傷は見当たらないが、気絶しているらしい。

「…う」

 うめき声と共に睦月が起き上がった時、そこは自分が見知らぬ場所だった。

「ここが、陽炎山…の奥の奥って所か」

 ゆっくりと起き上がった時、首筋に一瞬だけ激痛が走った。

 ――畜生(ちくしょう)、あそこにいた頃は背後からの気配なんて一発で把握できたのに…。

「俺もヤキが回ったか…あるいは、鈍くなったか。あいつら(・・・・)がこの場にいたら大笑いと皮肉を言われそうだな」

 睦月は周囲を見回した時、顔をこわばらせて左腰の得物を抜きそうになった。

 ――あの足音は、留衣(るい)…? あいつ、何でこの山中にいるんだ?

「ま、あいつの事情と言い訳を聴くのはこいつを倒してからにしようか」

 睦月が真正面の湖を見据えた時、そこから水飛沫(みずしぶき)と共に白蛇(はくじゃ)が姿を現した。

 白子(アルビノ)の白蛇はその希少性により縁起のいい動物として信仰の対象となっているが、この白蛇は己のエサを欲するがために天正村(てんしょうむら)の住人を――ごく一部を除いてだが――操り続けている化け物以外の何者でもない。

 白蛇はその血のように赤い両目で睦月を見据えると、鋭くにらみつけた。それに対して睦月は怯える事も無く、自分の銀色の目で目の前の白蛇を見据えてにらみ返す。

「くくっ…どうやら、俺の正体(・・・・)を知っているみたいだな」

 その台詞を合図として、睦月は自分の得物を引き抜いた。



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 空が闇色のカーテンを引いた頃。

 三人は、弥生(やよい)を先頭に陽炎山までの道を歩いていた。彼女は無意識に右側の二の腕を左手で押さえつけながら、昼間ヴァイスの独り言を思い出していた。

『…最悪だな。俺の両親や、あの(・・)一族よりも。……人間と言うのは、突然変異が生じてしまった同類を見ただけで距離をおきたがる…。………たかが、自分達の外見と少し違ったり、自分達に無い能力を所有したり、自分達よりも身体能力が活発なだけだと言う偏見に憑依(ひょうい)された理由のみで。……下らないにも程がある。外見も中身も…自分達と同じだと言うのに…』

 ――外見も中身も同じ、か…。この封印、今にもほつれていて解けそうな状態だし…二人に気づかれたら、どうしよう…どうやって言い訳をしたら良いんだろう、私…。

「…い、弥生!」

 リュウの声で我に返った弥生は、とっさに後ろを向いて尋ねた。

「どうかした?」

「いや…ボーっとしていたからよ…それより、もうすぐか?」

「うん。この道をまっすぐ行くと、陽炎山の登頂口に着くよ」

 弥生はリュウに言うと、前を向いて歩みを再開する。二人も、前方を歩いている彼女に続こうとしていた。だけど、リュウが我先にと言わんばかりに駆け出そうとした。

「ちょっ…ちょっと、リュウ?!」

「うるせえ! 俺の前は走らせねぇ!!」

 リュウが弥生の脇を通り過ぎようとした。その時後ろにいたヴァイスが一目散に走ろうとした彼をエルボーで引き止めた。それが首に当たったのが原因で、リュウはガマガエルのような声をあげて窒息(ちっそく)死しそうになってしまった。

「…急いては事を仕損じると言うだろうが、バカ犬め。……行こうか、弥生」

「……う、うん」

 ヴァイスは半ば気絶状態のリュウの着ている羽織(はおり)薙刀(なぎなた)の白い稽古着(けいこぎ)、両方の襟首(えりくび)をつかんで弥生を先頭に再び陽炎山の登頂口まで歩き出した。…自分の目の前を歩いている少女の右二の腕にまとわりつく、何か(・・)をにらみつけながら。



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 一方、反対側から陽炎山の奥の奥を目指して山中を登っているリン達はと言うと。

「だー! 全然キリがねーぞ、おい!!」

 リンがおそいかかってくる妖魔に対して、鈎爪(かぎつめ)付きの手甲を両手に装備したまま戦いながらぼやいた。

「仕方がありませんよ、師匠(ししょう)

 (かえで)が、目の前の妖魔の首を手に持っているダガーナイフで切り裂きながら言う。

「こいつら、僕達を足止めする役割なんですから」

「はは…納得」

 リンが、一旦間合いを取って目の前の妖魔(ようま)を鈎爪で切り裂きながらつぶやいた。

 ちなみに留衣はと言うと、一人黙々と左手にIMI ジェリコ941を右手にマニューリン MR73を手にし、そこから発射される9mmx19と.357Magnumで妖魔を血祭りにあげながら目的地までの道を切り開いて行きながら、つい口に出してしまった。

「リンさん…そんなの、言われなくても理解できますよ」

「うるせーやい。あたしゃ、頭で考えるのが大嫌いなんだ。目の前の敵は、容赦なく排除。あたしは味方以外の存在に対して、戦い、(あらが)いながら生きてきたんだ。そのあたしの生き様をお前みたいなガキんちょに」

 リンは一旦台詞をきると、留衣の背後に向かっていつの間にか手に握っていた(きり)状のナイフを放った。すると、断末魔(だんまつま)と共に何かが倒れる音と血の臭いが留衣の五感を刺激した。音と臭いの方向へ留衣が視線を向けると、そこにいたのは……額に錐状のナイフが深々と突き刺さっている妖魔の姿。爪が鋭く伸びている事を見ると、どうやら留衣の背後から忍び寄って殺そうとしたらしい。

「言われたかねーんだ。ついでに油断大敵(ゆだんたいてき)だぜ〜、留衣」

 リンがニヤニヤ笑いながら言うと、留衣は頬を朱に染めて目を据えて前方を向いた。リンは留衣が目を据えたのを見た瞬間、おもいきり顔を引きつらせた。楓も自分の師匠が顔を引きつらせたのを見た瞬間、嫌な予感が脳裏をよぎった。その予感は、すぐに当たってしまった。

「ったく、てめーらコソコソと……隠れていないで出てきやがれ、能無し共がよぉぉ!!」

 留衣が口調を変えて叫んだ時、彼女の前方から妖魔の大群が飛び出してきた。殺気と数が多すぎて、留衣一人だけでは対処できない。楓やリンが彼女に助太刀しようとしても、今の留衣に口答えをしたら彼女の両手に握られている愛銃で制裁されそうで声をかけ辛かった。留衣は目の前の大群に対してうっすらと微笑むと、IMI ジェリコ941とマニューリン MR73をそれぞれのホルスターにしまいこんだ。その代わりに、懐から紫の布に包まれた球体の物を取り出して呟く。

「ウィリー、てめぇは絶対に手出しをすんな。…いいな?」

『…御意(ぎょい)

 自分の使い魔が震えながらの答えに微笑を増した留衣は、自分の方に向かって襲ってくる妖魔の大群に対し叫んだ。

「出てきやがれ…イヴァン!」

そう叫んだ留衣の瞳は、いつもより黒いように見えた。