伍話 −お互いの秘密− 肆


 同時刻、リン達がいる場所から真向かいの山中へ下った、陽炎山(かげろうざん)の登頂口では。

「…ここから登れば、目的地にいける」

 弥生(やよい)が上を見上げながら言った。それを聞いたヴァイスは、彼女を見据えて尋ねる。

「…確信は?」

 ちなみにリュウはまだ気絶状態のままで、彼が着ている羽織(はおり)稽古着(けいこぎ)襟首(えりくび)をヴァイスにつかまれたままだ。

「正直に言うと、無い」

 弥生の返答を聞いたヴァイスは、リュウを引きずったまま前方へと歩き出した。彼の行動に目を丸くした弥生は、そのまま後ろを追う。

「ちょっと、ヴァイス。あんた、私の」

「…聞いたさ。だから、検証を兼ねた実行に移した。……たった、それだけの事だ………行くぞ」

 弥生は唇を引き結んで頷くと、ヴァイスの後を追い抜いて前方を歩き出した。追い抜く直前に「道案内をかって出たのは、私だから」と、ヴァイスにしか聞こえないように呟いて。彼はそれを聞くと、わずかに微笑んで彼女の後を追いかける。

 山中は村の中を歩いていた時よりも闇を増していて、どこからか血肉の(にお)いがただよってくる。弥生は無意識に顔をしかめたが、ヴァイスは立ち止まって顔をしかめずに前方をにらみつけた。

 ――……この臭い…おそらく『あの連中(・・・・)』の仕業だな…。……全く、どれ位の人間を殺したら気が済むんだ? まぁ…今更、か。

 弥生が後ろを振り返ると、ヴァイスに向って手招きをした。その表情は引き締まっているが、目のみ不安に彩られている。ヴァイスはかすかに微笑むと、弥生の後ろまで歩いた。彼女はそれを確認すると、歩みを再開する。耳をすませると、どこからか聞こえてくる夜の住人達の鳴き声と、後ろの方からヴァイスが土を踏んで歩く音と彼がリュウをを引きずる音が聞こえる。

 弥生は歩きながらその音を聞いているうちに、大人一人楽に通れる道の前に出てきた。その道の前に立ち止まると、左右を見回す。

「ねぇ、ヴァイス。これって罠?」

「……さぁ。………まぁ、罠と知っていても知らなくても行かなければいけない。…そうだろう?」

 ヴァイスの問いかけに弥生は黙って頷くと、今まで通っていた獣道から目の前の道に移動する。ヴァイスもリュウを引きずって移動を済ませると、目の前の水先案内人は再び歩き始めた。ヴァイスも、その後ろをついていく。

 ヴァイスは歩きながら、昨夜疑問に思った事を目の前を歩いている弥生に訪ねた。

「…弥生」

「何?」

「昨夜…睦月(むつき)が言っていた事が……気になってな…」

「ああ、それ。聞いていたんだ」

 私しか聞こえていなかったと思っていたんだけどな、と弥生は切なそうに呟いて、ヴァイスの方を振り向いた。彼女の突然の行動に対し、頬を朱に染めるヴァイスに対して弥生は真剣な眼差しで答えようとした。

「それね、」「………弥生!」

「え? …きゃ!」

 彼が殺気じみた声で彼女を呼んだその時、何かを察した弥生よりも早く――ヴァイスは弥生の右腕を右手でつかみリュウの羽織と稽古着の襟首を左手でつかんだまま素早く、猫のように――近くの巨木の枝へと跳躍する。

 弥生は、自分がいた地点を巨木の枝の上から見てみた。彼女がいた地点は、既に幼児一人が軽く入れてしまう位陥没した穴とその上から煙が空へと上昇していた。もし、ヴァイスが弥生の腕を掴むのが後一瞬遅かったら、今頃彼女は四肢が千切れ飛び、人の形を保っていなかっただろう。

「あ、ありがとう」

「礼には及ばん。リュウ、起きろ」

 ヴァイスが右手で(こぶし)を作ってリュウの後頭部に裏拳(うらけん)を一発お見舞いすると、鈍い音の後にリュウが目を覚ました。

「いって〜…何だよ、いきなり?」

「そろそろ起こす頃合だから起こした。たった、それだけの事だ」

 ヴァイスはリュウに言うと、懐から袋を――天正村に行く途中で取り出した、あの袋だ――を取り出してリュウに見せると、彼はうれしそうに微笑んだ。そして、同じように懐から黒い布に包まれた球体を取り出して、布だけを取り外すとそれを懐へとしまいこんだ。布に包まれていた球体は――月光を浴びて黒く輝く宝玉だった。

「いよっしゃあ! 久々に行くぜ!!」

 リュウはそこから飛び降りながら、黒い宝玉を両手に包み込む。すると、両手の平の隙間から光があふれ出していく。その光が消えた直後、宝玉は黒い大薙刀(おおなぎなた)へと姿を変えていた。先端は日本刀のように細長い白金の刃、その刃と黒く長い柄を黒く輝く宝玉がつないでいる。

 弥生はリュウが着地した地点に目をこらして良く見た。そこは、自分達の目的地――陽炎山の奥の奥だった。彼女は無意識につばを一気に飲み込むと、ヴァイスに向かって尋ねた。

「昼間、言っていたよね。『俺達がお前達をベルガモットへ連れて行きたいのはお前自身が珍しいからじゃない。もっと別の理由だ』って。…別の理由ってあれ?」

 ヴァイスは黙って頷くと、袋を解こうとした。すると、弥生は微笑んで


「気にしなくて良いよ。私達も(・・・)他人の事なんか言えない(・・・・・・・・・・・)し」


「…え?」

「…何かがこっちに来る!」

 弥生の言葉を信じて、ヴァイスは彼女と共に再び跳躍した。その直後、今までいた巨木の枝に衝撃波が直撃して枝が粉砕してしまった。ヴァイスは、リュウがいる地点に弥生と共に着地すると、彼女を降ろして例の袋から緑に輝く宝玉を取り出した。そしてリュウと同じ動作をした直後、ヴァイスの宝玉は対の日本刀へと姿を変えた。彼はその日本刀を左腰に差した。

 その時、上空から睦月が彼らのいる所まで落ちてきた。彼は猫のように着地をすると、前を見据える。睦月の姿は全身びしょぬれで、腕や額からわずかだが――切り傷やすり傷がある。出血はしているが、命に係わる量でもない。

「睦月! 大丈夫?」

「平気だ。それより、何でお前らが…まあ良い。話を聴くのは、こいつを倒してからにするからな、覚悟しておけ」

 睦月が持っている木刀を前方へと突きつけた時、白蛇が姿を現して口火を切った。

『人間の癖に、しぶとい(わっぱ)よのう』

「へっ! 俺はこれでもガキの頃から武術を毎日手のひらの皮膚(ひふ)がやぶけて血が出る位まで叩き込まれたんでね。そこらへんのガキと一緒にしてもらっちゃ困るぜ」

「おい白蛇、お前は人間の男を花婿――言い換えちまうと生贄(いけにえ)っつー事で肉を食っていた。何でこいつに対してはそんなに拒絶するんだ?」

 リュウが睦月を指差して尋ねると、白蛇は血走った眼を細めながら答えた。

『簡単な事よ。お主の言うとおり、我は今まで男の肉を食らい生きていた。だが、』

 白蛇はその血走った目をさらに細め、睦月に対してにらみ殺さんばかりの声を振り絞りながら続けた。


『男の振りをしておる女子(おなご)の肉など、まずくて口にも合わん。ゆえに、(なぶ)り殺すに限るのみ』


「ヴァイス君、ヴァイス君。ちょっと良い?」

「…何だ? 気持ち悪い」

「女子ってどういう意味?」

 リュウの問いかけに、ヴァイスは呆れ果てた口調で答えた。


「女って事だ」


 それを聴いたリュウは、一人納得したように睦月の方を見ながら頷いた。

「あ、そっか」

 それを聞いた弥生は、一人青ざめてリュウに尋ねた。

「え…まさかあんた、気づいていたの(・・・・・・・)?」

 それを聴いたリュウは、チェシャ猫のように弥生に笑いかけて答えた。

「んー、最初からだな。まぁ、最初からっつってもなんとなくだしよ」

 白蛇のさっきの台詞(せりふ)で確信したけどな、とリュウは続けた。その台詞に弥生は我に返ると、持参した二つの青い布の包みを睦月に手渡した。

「睦月。はい、これ」

「…持って来たの? これ」

 睦月が先ほどまでの声をがらりと変えて弥生に尋ねる。その声は、弥生よりも低い少女の声だった。

「うん。睦月のだしね」

「ありがとう、弥生。ついでに、ヴァイスと一緒にあれを退治してくれないかなー」

 睦月がそれを言った時、白蛇の頭上にそれの仮面を被った者が音も無く姿を現した。



******



 弥生達がいる場所の上空に、一匹の鷹が翼を広げていた。その上に、一人の少年が乗っている。

 少年は外見が十歳前後、黒い髪を短く切っていて、紺碧(こんぺき)の瞳が月光を浴びて鋭く光っている。

 服装は紺のマントを羽織(はお)っていて、その下には白いワイシャツに黒いズボン。彼は、黒くぬられた左親指の(つめ)をわずかにかんだ後、誰にも聞こえないように呟いた。

「…もう潮時(・・・・)みたいですよ、(いちい)様。…いかがいたしますか?」

 彼の耳元から雑音が数秒聞こえると、少年は唇を三日月のように歪めて言った。

「…了解」

 その直後に雑音は途切れ、再び左親指の爪をかむと呟く。

「もう(たわむ)れは終わりだよ。役立たず(・・・・)