陸話 −伝承の終焉−


 弥生(やよい)達が登っていた陽炎山(かげろうざん)の山道――それを表側とするならば、現在留衣(るい)達が今いる山道は裏側なのだろう。その裏側は……妖魔(ようま)の血と肉――(あぶら)(にお)いで充満し、支配されていた。

 リン達は、留衣の使い魔――イヴァンによって倒された妖魔の(むくろ)を踏み潰しながら山道を歩いている。自分の履いているバッシュの裏底が、妖魔の血と脂によってぬれながら、留衣が申し訳なさそうに口火を切った。

「…本当に、すみません」

「謝る位自覚があるなら、もうちっと自分の言動をわきまえておけ。…まぁ、今回は良くやったって言っておくわ」

 リンはそう言うと、まるで物心がつくかつかない位の幼い子供が、自分の両手に木製のばちを持って和太鼓(わだいこ)を叩く様に留衣の頭を軽く触れた。

 二人の様子を見ていた(かえで)は、無意識に眉間(みけん)にしわを寄せるや否や自分の師匠(ししょう)に小声で「頼みますから、そいつを甘やかさないでください。すぐに調子に乗りますので」と、わざと留衣に聞こえるように耳打ちをする。しかし、リンはいつもの調子で「入隊した頃のお前だってそうだったぜ。何だ、楓。お前留衣に嫉妬してんのか?」と、自分の弟子(でし)に言い返していた。

 留衣は後方を歩いている師弟(してい)のやり取りを聞きながら、己の限界まで小さく深く息を吸い続け――それから小さく深く息を吐いた。両肩にのしかかっているリュックの中身は、今回の任務で彼女が使う武器が大半を占めていて少し重い。上を見上げると、相棒が近くの木に止まって自分がそこまで来るのを待っている。ウィリーは己の対の翼を広げて自分の定位置に着くと、自分の主にしか理解できないようにささやいた。

『主、あの方の居場所までもうすぐです』

「…分かっている、だけど……。どう呼んだら良いのか、あたしには分からないんだ」

 留衣は誰か、とは言わなくてもウィリーには分かっている。自分の主の名を呼び、その雪のように白い手で主の頭をなで、主と共に喜び、悲しみ、苦しみ……あの男(・・・)から主を守ってくれていた存在でもあり、また、自分の主にとって、再び会いたいと願っていた人物なのだから。

 ――冬兄(ふゆにい)…もしも再会した時、あたしはあなたを何と呼んだら良いの?



******



 その頃、陽炎山の奥の奥では。

 白蛇(はくじゃ)を倒すリュウと睦月(むつき)、白蛇の仮面の者を倒すヴァイスと弥生に分かれたものの、いきなり死闘に巻き込まれていた。



 白蛇の仮面の者が蚊の鳴くような声で何かを呟いた後――四人に向かって衝撃波が来たので、リュウと睦月は左側に、ヴァイスと弥生は右側に別れざるをえなかった。

 左側に別れたリュウと睦月は、白蛇を目の前にした瞬間――それぞれ武器を突きつけて見据えた。その際に、リュウは睦月に訊いた。

「何で男装していたんだ?」

「この国では、女が刀を持つのは禁止されているからが1つ。他にも理由はあるけれど、それはいずれ…ね」

 睦月は元々の声――弥生に向かって喋っていた声だ――のままリュウに向かって答えると、自分の木刀を白蛇に突きつけたまま続ける。

「早くこいつを退治して、弥生達の方へ合流しよう。蛇って意外な事にしつこいから」

「マジかよ、おい」

 リュウはげんなりしたように言うと、改めて大薙刀(おおなぎなた)を中段に構える。そして、迷い無く振り上げて――振り下ろした! 次の瞬間、大薙刀の刃から衝撃波が飛び出し獲物を追う獣の群れのように白蛇の頭上に乗っている仮面の者へと直撃した……かのように見えた。リュウが大薙刀を用いて放った衝撃波は、仮面の者ではなく湖に直撃したらしく――大量の水飛沫(みずしぶき)が四人と周囲の大木を襲う。

 木の幹が水しぶきの衝撃に耐えられず倒れていく音を聴きながら睦月は濡れた前髪をかき上げて前方を見た時、仮面の者はすでに右側――弥生とヴァイスがいる場所だ――に移動していた。その際に、奴の右腕に刃物などの類で切り裂かれた傷を見つける。

 ――成程、手負いって訳ね。…だけど、その状態でも戦局は変わらず…か。それに、こいつら以外の何者かの気配も感じるけれど…今の所、ここにちょっかいをかけて来る気は無いみたいね。

「状況はどうあれど……これでやっと、心の奥底から安心して――伝家の宝刀(・・・・・)が抜ける……!」

 睦月は自分自身にしか聞こえないように自信ありげに呟くと、木刀を持ち直して前方の白蛇を見据える。すると、いきなりリュウは大薙刀を両肩に担いでしまった。彼の行動を見て目を見張る睦月に対し、リュウは右手を地面にかざした。すると、その行動を察知(さっち)した白蛇がリュウに襲い掛かった。

『お主の妖魔を召還させぬぞ! “妖魔(ようま)黒犬(こっけん)”!!』

「遅ぇよ、ノロマ。ついでに、そう気安く俺の通り名を呼ぶんじゃねぇ」

 リュウが白蛇にそう言った瞬間、地面から魔方陣(まほうじん)が浮き上がり――ガルムが出現して、白蛇に襲い掛かる。だが、白蛇は己の尾を用いてガルムの攻撃を防ぐと同時に、己が住処としている湖へと叩き落そうと試みる。しかし、その直前にガルムはすばやく後方に退いてそれを防ぐと己の主の前へと降り立つ。無論、白蛇に対する殺気と警戒を残したまま。



 弥生は水飛沫によって濡れた稽古着(けいこぎ)など気にせず、目の前の敵でもある白蛇の仮面の者をにらみつけていた。ヴァイスは左腰に差した己の得物を引き抜いて両手に装備すると、白蛇の仮面の者に突きつけるや否や、まるで負けられない戦いを挑む剣士のように仮面の者へと襲い掛かる。仮面の者も、それを受けて立ったのか懐から一振りのダガーナイフを右手で取り出して応戦する。

 その瞬間、弥生はその戦いの傍観者へと格下げをされた。

 仮面の者が細剣(レイピア)を用いて戦っているようにダガーナイフを使うのに対し、ヴァイスは己の武器でもある対の日本刀を――まるで、睦月が木刀を振り回しているかのように使いこなしているように弥生には見えた。仮面の者がダガーナイフでヴァイスの右腕を突き貫こうとした時、ヴァイスは右腕を上空にあげてそれをかわし左手に持っている日本刀で仮面の者の右肩を切り裂いた。それと同時に、真っ赤な血が――まるで規定の時間になると水があふれ出す噴水(ふんすい)のように()き出す。

『ぐぅ…』

「……勝負あったな」

『それは…、どうかなぁ! 行けぇ! ウシュムガル!!』

 仮面の者が狂ったように叫ぶと、ヴァイスはとっさに背後――弥生がいる位置を向いた。自分と彼女がいる距離の間で魔方陣が出現し、その場から大蛇(だいじゃ)――ウシュムガルが、地を張って弥生に襲い掛かる。弥生はその瞬間、顔を強張らせてしまいその場から動けない。すぐにヴァイスがその場から駆け出そうとするが、弥生が視線を鋭くしてそれを静止するとその目を閉じて己の左腕を差し出してしまう。その時、ウシュムガルが彼女の左肩に食らいつく。

「弥生!!」

「大丈夫! ヴァイス、私は大丈夫だから近づかないで!!」

 ヴァイスが絶叫して駆け出そうとするが、弥生が目を開いて叫び返してそれを制す。彼女の左肩は、ウシュムガルが噛みついていて中々思うように動かせない。

 ――食い千切られたら、終わりね…私の左腕は。というか、もう既に終わっているか。

 弥生は額からの脂汗さえもふかず、仮面の物を見据えて口火を切った。

「一応訊くけど、あんたが天正村に嘘の伝承を流したの(・・・・・・・・・・・・・)?」

 それを聴いた仮面の者は、黙って頷いた。その瞬間、弥生は薄く微笑んで右手に持っていた木刀を投げ捨てた。



 弥生の左肩がウシュムガルに噛みつかれた時、睦月は我を忘れて目の前の白蛇に向かって突進した。無論、木刀を構えたままの姿勢で、だ。白蛇は己の目の色に邪悪さを混ぜると彼女の稽古着の襟に食らいつき、そのまま夜空へと高く放り投げた。

「睦月!」

 リュウの絶叫と共にガルムが駆け出すが、白蛇が己の尾を用いてそれを制す。そして、血のように紅い舌を出しながら目を細める。

『叩きつけられて死ぬがいい、男の身形をした(わっぱ)よ』

 その瞬間、睦月は湖の水面に叩きつけられてしまう。それによって気を失ってしまった彼女の肉体は、底なし沼に放った小石のように沈んでいってしまった。リュウが月色の目を見開き狂った獣のように絶叫するが、その声すらも睦月の耳には届かなかった。