陸話 −伝承の終焉− 参


 睦月(むつき)はそれに対し目を据えると、弥生に手渡された青い布の包みを解いてその二つの布を左腕に巻きつけて結ぶと、青い布に包まれた脇差(わきざし)懐剣(かいけん)を左腰に差す。その時、睦月は白蛇(はくじゃ)眉間(みけん)にある印が見えた。

 ――え…? あの人(・・・)が言っていた事が本当ならば…、あの印(・・・)は…。



 弥生(やよい)が呟いたのは何かの呪文だった。ヴァイスはそれを聴いた瞬間我を失いそうになったが、かろうじて己の意思でそれを阻止した。それに対し、それを聞いた仮面の者は突然取り乱したように叫ぶ。

『おい…何でなんだよ……聴いていないぞ!』

 ウシュムガルが口を左肩から離し、更に己の肉体をくねらせて弥生の首筋に食らいつこうとしている。だけど弥生は、そこから一歩も引かず強大な敵に立ち向かう勇者のように何かの呪文を唱え続ける。

『我らの声を聞き、我らの意思に答え、そして…』

 ウシュムガルが弥生の首筋に向かって食らいつこうとした。だが、その時


『我らの前にその姿を現したまえ 十二の能力(ちから)よ!!』


 次の瞬間、弥生を“目”とした竜巻が発生した。それと同時に、ウシュムガルの胴体(どうたい)が千切れて四方八方に飛ぶ。その直後に、仮面の者の左肩から再び真っ赤な血が――まるで規定の時間になると水が(あふ)れ出す噴水(ふんすい)のように()き出した。


 睦月は、目を見開くと同時に体をくの字に折り曲げて、そのポーカーフェイスを崩してまでも全身に伝わる苦痛を顔に出して歪ませながら己の左手の甲を見る。その手の甲にあるアザは、既ににごっている水の中でも解る位の青い色の鎌の形をしたそれ。睦月はそれを見た瞬間、鞘から懐剣(かいけん)を抜き出して、柄を口にくわえる。脇差(わきざし)も懐剣同様、鞘から右手で出してその手に(にぎ)りしめた。

 白蛇(はくじゃ)が大口を空けて睦月に襲い掛かった時、リュウが口にくわえていた大薙刀(おおなぎなた)の柄を離して両手で持ち替えると両膝だけで己の体を支えて、その刃を――白蛇の胴体へと突き刺した! 

 背中から感じる刃の熱と痛み、水によって奪われていく己の血と体温が低下するに比例して暴れ狂う白蛇に対し、リュウは暴れ馬に飛び乗る勇敢な青年のようにうまく振り落とされないように両膝で白蛇の胴体をはさみ込む。そして、柄を左手だけで支え睦月に己の右手を差し出す。彼女は彼がいる場所まで水をかきわけて、己の左手で彼の右手をつかんだ。



******



 留衣(るい)(かえで)を乗せたリンが陽炎山(かげろうざん)の奥の奥――弥生達が今、白蛇とその仮面の者と戦っている所だ――が見渡せる場所に辿り着いた時、睦月が白蛇によって湖へと叩き落されていた。リンから降りた留衣は、その光景に我が目を疑いその場から駆け出そうとするが、今の自分の状況を考えてその行為を止めておくことにした。そんな留衣の様子を見ていた楓は、リンから降りながら

 ――コイツでも空気を読むんだな。

 などと場違いなことを考えていた為か、件の炎を身にまとって元の姿に戻ったリンと、前方で地べたに座り込んでリュックを下ろしその中から愛用のライフルの1つ――と言っても狙撃用だが――シグザウアー SSG-3000と、それ用の弾丸――7.62mmx51が入った箱を取り出していた留衣ににらまれたとは言うまでもない。ちなみにウィリーは、自分の定位置でもある留衣の左肩から移動して、近くの巨木の枝に止まって大人しくしている。

 リンは、その場に立ったまま近くの巨木に寄りかかりながら留衣に訊いた。

「留衣、お前何やってんの?」

「狙撃準備ってやつですよ、リンさん」

 留衣は真剣な口調で答えた。リンがよく目を凝らすと、シグザウアー SSG-3000の銃口に同系色の筒状の装置――消音器(サイレンサー)が取り付けられている。すると、留衣は箱から7.62mmx51を取り出して、シグザウアー SSG-3000のボルトを引いてそれを装填した。彼女には装填音(そうていおん)が聞こえたらしく、すぐにその場で腹這(はらば)いになって、シグザウアー SSG-3000を構える。

「留衣、それで狙撃すんのか?」

「ええ。本当は璃蝶(りちょう)さんが所持しているレミントン M700をお借りしたかったんですけど、あの人多忙なのでお借りできなかったんです。ですから、今回は私物のこれを使います」

「無理だな、お前の腕だったら向こうの四人の状況がやばくなるぞ」


「楓には分かんないよ」


 留衣は楓の台詞に対して、殺気混じりで反応した。彼女のその態度に、楓は一瞬だけ身震いするがリンはいつも通りの調子だ。そして留衣は、己の利き目でシグザウアー SSG-3000に取り付けた暗視スコープ越しに広場の方を見ながら続ける。

 広場内は、奥の方で湖に落ちた睦月に止めをさそうとする白蛇に対し、リュウがガルムに何らかの指示を出した後、大薙刀を口に咥えてその巨体な胴体に己の四肢を駆使してしがみついている。それと同時に、白蛇とリュウの姿が湖へと潜り込んだ。

 手前側では、自分自身を“目”とした竜巻を発生させている弥生に対し両肩から血を流している仮面の者が対峙している。ヴァイスは、弥生に全て任せることにしたらしく、その場から――本人にとって予想外の出来事が無い限りの話だが――動こうとはしない。

 留衣は、スコープ越しに広場を見ながらシグザウアー SSG-3000のトリガーに指をかけながら続ける。

「絶対に分かんないだろうね。あたしが何であの人を助けたいのかなんて。大体、あたしは狙った獲物は絶対に逃がしはしないし、的は絶対に外しはしない。楓だって、それは知っているでしょ?」

 留衣のその台詞には、楓どころかリンでさえも二の句が告げられなかった。留衣は師弟(してい)を黙らせる事に成功すると、利き目越しに暗視スコープを覗き見る。広場の状況は、先程と変わってはいない。すると、湖から背中に大薙刀が刺さった状態で暴れ狂う白蛇とその柄を必死に押さえつけているリュウ、彼の右手を握り締めている睦月が現れた。留衣は、何の躊躇いも無く自分自身の意思でシグザウアー SSG-3000のトリガーを引く。装填された7.62mmx51が発射され、弥生とヴァイスの間を通り抜け――白蛇の右目を撃ち抜いた。



******



『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 どこからか来た弾丸によって、白蛇は右目の視力を失いその場でのた打ち回る。リュウは、大薙刀の柄を掴んでいる左手を一旦離して、その小指を自分の口にくわえて息を吹き出す。

 小鳥の声よりも高い口笛を聴いたらしく、別所(べっしょ)で待機していたガルムがその場から飛び出して来て、白蛇の上空の周囲をくるくると回りだす。それを見たリュウは、再び左手で大薙刀の柄を握り締めて引き抜く。それと同時に、白蛇が再び痛さでのた打ち回る。それを見た睦月がリュウの手を握ったままガルムに飛び乗ると、彼も彼女に(なら)う。そしてリュウは睦月の前に落ち着くと、彼女が彼に向かって囁いた。

「リュウ、これ言っても信じないかも知れないけれど…よく聴いて」

「? …分かったよ、聴く。何だ?」

 リュウの了承を得た睦月は、右手に握っている脇差の柄を改めて握りしめると再び彼の耳元で囁く。それを聴いたリュウは、一瞬だけ己の目を限界まで見開いたがすぐに平常心を取り戻すと、ガルムに耳元で囁きながら指示を出す。主の命令を請けたガルムは、すぐにそれを行動に移した。

 ガルムは暴れ狂う白蛇の頭上まで近づくと、その場に睦月を降ろしてそこからある程度の距離をとる。リュウは、大薙刀の柄を己の両手で強く握りしめると同時に睦月が言った事を思い出していた。

 睦月曰く『私を白蛇の頭上まで連れて行って。後は、自分で何とかするから』と。

 ――自分でって…。大丈夫かよ、あいつ。

 リュウは暴れ狂う白蛇の頭上に睦月を連れて行き、そこに置いてしまった事を後悔し始めた。すると、主の心情を察したガルムが口を開く。

『主、心情はこの身が切り裂かれる位分かります。ですが、今の状況内であの娘――睦月殿を信じてやらねば、誰が睦月殿を信じるので?』

「…分かっているさ、ガルム。心配すんなって」

『主…』

「ガルム、俺はあいつのサポートをするから協力しろよ。言っておくが、拒否権は無い」

御意(ぎょい)

 ガルムが知る主の本調子を取り戻したリュウは、大薙刀を右手に持ち替えて白蛇の頭上に乗った睦月を見据える。

 ――睦月…。