弐話 −今亡き者と今生きる者の願い−
部屋中に、沈黙と言う名の重い空気が漂う。それを破るかのように、ヴァイスが挙手をしてリンに訊いた。
「話の腰を折るようで悪いが…“
忌み
名”とは、何だ?」
「…」
リンが黙って
睦月にあごでさすと、彼女は静かに口を開いた。
「“忌み名”って言うのは、私のような
漆黒の
髪と銀色の眼を持つ子供が生まれた場合、その子につける真名の事よ」
睦月はそこまで言うと、視線で
柘榴を促した。柘榴は猫のような笑みを深めると、睦月の後を継いで続ける。
「昔から“
死神”の種族内で、まれに睦月のような外見の子供が生まれて来るのさ。そんで、その子には、『“死神”の
寵愛を受けた子供』っていう意味で、真名の役目でもある“忌み名”と普段その子を呼ぶ為だけにつけられる“
呼び
名”を別につけるんだよ」
その場にいながらそっぽを向いている
留衣と睦月以外の全員が、柘榴の言葉を一言も聞きもらさんと耳を傾ける。柘榴は、猫のような笑みを深めたまま続ける。
「その子の事は普段は“呼び名”で呼ぶけれど、“忌み名”では絶対に呼ばない。なんせ、“忌み名”なんてのは本人以外知らない自分のもう一つの呼び名だからさ」
「? あの…それ、どう言う事だ?」
柊が恐る恐る柘榴に訊くと、柘榴は黙って睦月を見つめる。睦月が黙って続きを話すように頷くと、柘榴は身振り手振りを交えながら続けた。
「自分から“忌み名”を他人に教える場合は、『自分を自由自在にこき使ってもかまわない事』を承知で教えるさ。もし、その子が自分から“忌み名”を教えていない奴が“忌み名”の方でその子を呼んだ場合、呼んだ張本人が“死神”に罰せられるのさ。『“死神”の寵愛を受けた子供を、その子の意思に反して支配下に置いた』って意味でね」
「寵愛、ね…睦月を見る限りじゃ、全然そうは思えねーぜ」
「…
師匠」
今までそっぽを向きながら柘榴の話を聴いていた
留衣が、リュウの方を向いてマニューリン MR73の銃口を向けた。
「ごめんなさい俺が悪かったです、許してください留衣さん」
留衣はマニューリン MR73の銃口をリュウの眉間から外すと、「次からは気をつけてください」と言った。それを見ていたリンは「ちゃんと弟子の教育ぐらいしておけ、バカ」と呆れた様に言った。
睦月はワザとらしげに咳払いをしてその場にいる者達の注目を集めるとポツリポツリと語り始めた。
******
おばあ様がこの世に生を受けたのは今から六百年前と少し…ちょうど、世間で言う“第一次百年戦争”が終結へと少しずつ近づいた頃らしいの。
あの人のご両親は、敵の――当時の“四ヶ国同盟”の兵士達の――奇襲を受けた際に、種族の村と共に消え去って……そして、お祖母様だけが生き残ってしまったのよ。…そして、身寄りも無いからって“族長屋敷”って所に連れていかれたそうよ。
「……当時の“族長屋敷”は、あの戦いによって親を失った身寄りもねぇガキを引き取ってそこで育てていたんだ。一人前になって、一人で生きて行けるようにって意味でな。まぁ、そのガキが望むなら、そいつの出身の種族に該当する部隊へと入隊させていたんだ」
睦月の話を聞いていたリンが、バツが悪そうな口調で割りこんできた。柘榴も黙って頷く。どうやら、この二人共、あるいはどちらかが“第一次百年戦争”かそれ以前によって何もかもを失って孤児となって“族長屋敷”で育ち、のちに自分達の出身の種族に該当する部隊へと入隊したみたいだ。
睦月は、二人の反応を静かに見つめてから再び口を開いた。
おばあ様は、そこで『己の正体がバレやしないか?』、『もしバレてしまったら、自分は一体どうなってしまうんだろうか?』と、毎日怯えながら暮らしていたらしいの。だって、あの人は私と同じ漆黒の髪と銀色の眼を持っていて、自分の村は自分がそこにいたせいで滅んでしまったんだ…、と思っていたから。
だけどある日の晩、夜の帳が下りた頃に一人でこっそりと外出中…に、ある女性と会ったらしいの。
その人は、自ら死神族族長で、第二部隊隊長だって名乗ったわ。そして、おばあ様の秘密を周囲に教えないとも約束してくださったの。それに感動したおばあ様は、ご自分の“忌み名”を彼女に教えたそうよ。後に、おばあ様の秘密はその人の部隊どころか、他の部隊の隊長の人達にもバレてしまったけれど…。だけど、第一部隊隊長の方が他の部隊の隊長達に通達したそうよ。曰く、『漆黒髪銀眼の娘に“忌み名”を用いて、無理やり馬車馬のようにこき使うな』ってね。
「あ、だからリンさんおばあちゃんの“
忌み
名”を
睦姉が口に出した時、すごくおどろいていたんだ」
留衣が両手を合わせた時、リンが黙って頷いた。
リンが柘榴の店に入った時、柘榴はリンの事を『元第八部隊隊長殿』と茶化すように言っていた。もし、柘榴の言う事が正しければ、リンが椿の“
忌み
名”を何らかの方法で本人の意思に関係なく知ってしまい、後で当時の第一部隊の隊長が通達した内容を知っていてもおかしくない。
睦月は一旦台詞を切り、周囲を見渡して再び口を開いた。
それから数年経って、おばあ様は少しずつだけど笑顔と感情を取り戻していったの。その頃には、“四ヶ国同盟”による『戦争と言う名の一方的な“ゴッドアイランド”の住人の虐殺』はもう終末を告げていたわ。そして、あの人はご自分の“忌み名”を最初に教えた人に頼み事をされたの。
それは、死神族族長としての証でもある“青水晶”と“死龍神”を何処か遠い彼の地へと封印する事。そうしなければ、お祖母様はその人の意思を継がざるを得ないから。だけど、その人は自分の後をお祖母様がお継ぎになるのを大変嫌がったの。
そしておばあ様は、その人に託された二つの至宝と自らの相棒と共に“ゴッドアイランド”を脱出したの。もう、未練すらなかったから…って。
それからおばあ様にとっての六百年間は、姿かたちと名前を変えて、ある時は国や街の一角に居を構え、ある時は山の奥深くに身を潜め、ある時は旅から旅への根無し草…と、まぁ簡単に言うと波乱万丈って奴よ。
…そして今から四十数年前。
弘化にたどり着いたおばあ様は、ある侍と出会って恋に落ちたの。それが、私達のおじい様で当時の“氷重”の当主。そして、結納をあげたおばあ様は後に一人の男児と一人の女児を授かったの。男児は後に私と留衣の父親となり、女児は柊の母親となったの。
そして、男児は年をとるごとに内面に秘めていた欲望を肥大化させて、己の元服と同時に実の父親から全てを奪い取って己が“氷重”の当主の座に就任してしまったのよ。
それからあの男は、己の欲望のままに行動したわ…周囲の迷惑すらかえりみずに。その結果、“氷重”は少しずつ没落へと傾き始めてしまい、おじい様は、実の息子の息がかかった医者によって薬と称された毒によって殺されたわ。そして、自分の妻に子供をはらませた結果、私が生まれたの。
おばあ様は、生まれたばかりの私を見て悟ったそうよ。『この子が物心をついた頃に、自分の秘密をすべて打ち明けよう』と。
そして私は、物心つく前から、あの男の前では性別を偽ざるを得なかったの。だって、あの男は異性であれば年齢問わず手を出すほど落ちぶれていたから、“氷重”の家の女中はほぼ全員あの男の息もかかったも同然だったからね。
それから、留衣が生まれた頃には、あの男は傍若無人な振る舞いをするようになったわ。“氷重”のお金に手をつけて色街へ行ったり、外に女を作ってそこに外泊して行ったり…なんて、日常茶飯事だったし。
私が六歳になった春に、おばあ様は私を“氷重”の家の裏手にある洞窟へと案内してくださったの。本当は怖かったけれど、お祖母様が一緒だったから平気だった。
洞窟は、下へ続くらせん階段しかなくて…入ったらひたすらその階段を下りたの。そして、私は見たの。万年氷に閉じ込められた“青水晶”と“死龍神”を。
驚きを隠しきれない私に対して、おばあ様は何もかも全てを話してくださったの。自分の出生とその時の出来事、おじい様に出会うまで、子供をはらんでから…私と留衣が生まれて来るまでを、何もかもを隠さず、すべて。
後で留衣もお祖母様と一緒にあの洞窟へ入って、万年氷を見せたの。そして、私と同様に自分の事を話したわ。
その頃からあの男は、外に作っていた女と一緒に居を構えていたの。その時よ、お母様があの男に無理やりはらまされて、お腹の子供ごと鬼籍に入ったのは。
お母様とお腹の子供の葬式の時、あの男はなんて言ったと思う?
睦月が自嘲気味に周囲に訪ねた。周囲の反応は、留衣が睦月の方を向いて眉根を寄せた事以外何の反応もない。睦月は、それに動じる事もなく続ける。
『俺の子供をはらんでおきながら、奪って行った』ってね。
…奪って行った? ぶざけないでよ! あんたが傍若無人な振る舞いをしていたせいで、お母様は心身ともに疲れて寝込むことすら多かったんだから! それを知らずにあんたが無理やりはらませたせいで、お母様はさらに心身をむしばまれて、それで…!
それを言って、睦月は涙を両目にためてうずくまった。
周囲がとまどいを隠しきれない中、
弥生が泣き止まぬ幼子を慰めるように睦月の背に手を置く。睦月は涙を両手で拭いて弥生に礼を言うと、続ける。
それから私が八歳の頃に、ある日突然…留衣がいなくなったの。おばあ様は、それをご存じだった…だけど、おばあ様はご自身の体をすでに思うように動かせなかったから、私が常にそばにいなきゃいけなかったのよ。だから、家の者達の目を盗んで留衣を探す事すら困難だったの。
そして、私が九歳になったある夏の暑い晩。
私は、ある決意を胸に秘めてお祖母様の枕元に急いでかけつけたの。…おばあ様はすでに虫の息だったわ。私は、その決意をおばあ様の耳元に囁くと、あの人はある情報を私に教えたわ。私は、腰に差していた誕生祝いにおばあ様から頂いた脇差と懐剣の柄をそれぞれ握りしめてその場から飛び出したの。
それから先は、何も覚えてはいないわ。ただ、覚えているのは刃を通じて人の血肉を切り裂いた感触とあの男の断末魔だけよ。
あの時の事は、今でも後悔しているわ。私がもっとおばあ様をお守りできる位強かったら、あの男をどんな手を使ってでも止められたんじゃないか…って。そして、誓ったの。二度と私利私欲で…人を殺めないって。