弐話 −今亡き者と今生きる者の願い− 弐
部屋の中に再び沈黙と重い空気が流れていく。睦月は周囲の戸惑いと畏怖が入り混じった視線に耐えられないようだったらしく、急須から湯のみにお茶を入れて周囲から背を向けて飲み始めた。
すると、リンが意味ありげに睦月の方を見たので、彼女が首だけを振り向いてリンの方を見据えて
「言いたい事があるなら聴くけれど?」
と、言った。その台詞に、リンは居住まいを正して
「…お前さ、父親を殺して何か感じた事はないのか?」
と、訊いた。それに対し睦月は背を向けたまま
「正確には、父親とその浮気相手。それと、二人の間にできた赤子を私がこの手で殺したの。まぁ殺したって、興奮とか快楽は得られなかったわ。ただ、虚しさと後悔が残っただけ」
と、即答した。それに対しリンは半ば安心したように
「そっか」
と、呟いて少し考える動作をした後
「それで、“青水晶”と“死龍神”はどこにあるんだ?」
と、続けて訊いた。すると、睦月は眼を半分ほど細めて体ごとリンの方向に向けて
「訊いていなかった? …まぁ良いわ。“氷重”の本家の裏手に山があって、そこにある洞窟の奥深くにある万年氷の中。ええと、そこにいるおバカにわかりやすく説明すると」
柊は睦月に「バカってなんだよ」と抗議したが彼女は無視した。睦月は軽く咳払いをして周囲の注目を集めると、湯飲みを卓袱台に置いてから身振り手振りを交えて説明し始めた。
「“氷重”の本家の裏手に、小高い山があるの。そこは登山が可能で、ある程度進むと大の男より一回り大きい出入り口があるの。そこから先は、」
睦月は一旦台詞を切って柊を意味ありげに見つめると、再び口を開いた。
「明日“氷重”の本家に行ってから説明するわ。それでかまわないかしら?」
周囲から了承の声が聞こえてきた…約一名を除いて。柊は、強敵を目の前にして怯え始めた子犬のように睦月を見て口を開いた。
「なぁ、季冬」
「この時は、睦月」
「あ、ごめん…。睦月、本当に家に帰るのか?」
「当たり前でしょ。いつまでも逃げている訳にもいかないし、いい加減に私と留衣なりに“氷重”の人間と決着をつけておかないとそれの意味すらないのよ」
睦月が柊にきっぱりと言った時、リュウが「睦月」と呼びかけて彼女に訊いた。
「お前さ、天正村で俺に言ったこと覚えているか? あれらがどうのこうのって。…それってよ、“青水晶”と“死龍神”の事を指していたのか?」
「ええ。私、最初リュウの事を“青水晶”と“死龍神”を探しに来た奴かと思ってね。思わず口走っちゃったのよ」
知らなかったみたいで、ちょっとこっちが勘違いしちゃったけれどね、と呟いて。そして、留衣と柘榴の方を見て
「留衣、後でウィリー貸して。それと柘榴さん。お手数をおかけしますが、墨と硯、それと筆を貸してくれませんか? あと、紙を数枚ください」
と言うと、留衣と柘榴は黙って頷いた。すると柊が、急に怯えたように
「おい、睦月。あの家に、まさか…」
と呟くと、睦月は黙って頷いた。それに対し、弥生は意味ありげに納得していた。『意味が分からない』と顔に出ている四人に、弥生が耳打ちをした。
「柊君を見つけた事と“氷重”の家に一旦帰るって事を手紙にしたためて、ウィリーに運んでもらうんだよ。睦月は、それを考えているみたいね」
それを教えられた四人は、それぞれ反応を示した。
「……意外だ」
まず最初に、ヴァイスは猫のように欠伸をして
「度胸あんなー、あいつ」
次に、リュウは感心したように言ってから腕を束ね、
「おい、大丈夫かよ?」
その次に、リンは睦月の方を見ながら不安げに呟いて、
「無謀じゃないか? 睦月のくせに」
最後に楓がそう呟いた時、それを聴いていた留衣がマニューリン MR73の銃口を彼の眉間に突きつけた。
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各自荷物を持って、柘榴の案内で二階へと向かっていく。先頭から順に柘榴、睦月、リュウ、ヴァイス、弥生、留衣、楓、柊、最後はリンだ。柘榴はある襖の前に止まって指で指した。
「ここは男子が泊まる部屋で、隣はあたしの部屋。そんで、女子はその隣さ。夕食は今からあたしとここにいる料理できる奴全員での合同作業。フロは一番に入りたい奴が風呂の掃除と支度をする事。道具の場所を説明するから、その際にあたしを呼んで欲しいさ」
柘榴は一旦台詞を切ると、睦月達の方を向いて再び口を開いた。
「言っておくけれど、騒音と夜這いとフロの覗き、飯の取り合いと食わず嫌いは厳禁だから、そのつもりでいな」
「もしそれらを破ったらどうなるんだ?」
リュウが恐る恐る訊くと、柘榴はいつも以上にまじめそうに
「料理当番が調理道具を標的に向かって矢のごとく投げたり、鈍器扱いしたりするんでね。まぁ、それを受けたきゃ好きにすると良いさ」
と言うや否や、黙って睦月を指差した。そして、「料理できる奴は、部屋に荷物を運び次第下に降りて来て手伝って欲しいさ」と言って、その場を後にした。
弥生は柘榴が一階に下りて行くのを見送ってから、彼女の指示通りに今夜泊まる部屋の襖をあけた。彼女の目に飛び込んできたのは、自分と睦月が暮らしていた家の敷地の半分は入りそうな広い畳敷きの部屋と真正面にある障子だった。
「なに突っ立っているんだよ、早く入れ」
リンに急かされて、弥生はあわてて自分の荷物を部屋の角に置いて、障子の方へと駆けていく。そして、恐る恐る障子を開けるとそこから見えた光景は、天正村にいたころと比べ物にならないものだった。
南を向けば、ここに来るまでに買い物をした市場が軒を連ねている。東を向けば、宝治を納める将軍の城が聳え立っている。北を向けば、自分達が通った関所が見えた。
弥生が景色に見とれている時、後から部屋に入って来た三人は弥生が荷物を置いた角に荷物を置いた。睦月が弥生の背後から近づいて彼女の髪をひと房持って軽く引っ張ると、「うおっ」と言う声と共に逆さまになった嬉しそうな弥生の顔が睦月には見えた。
「で、景色を見た感想は? 弥生」
睦月が訊くと、弥生は満面の笑みを顔に浮かべたまま答えた。
「すごいとしか言いようがないよ。あの村にいた頃とは段違いだねー」
「まぁ、そりゃそうでしょうね。弥生、あんたここでリンと一緒にいる? 私、留衣と一緒に柘榴さんの手伝いに行くけれど」
「んー」
弥生が景色の方に再び視線を移すと、睦月は留衣の方を向いて
「分かった。留衣、行くよ」
「らじゃー」
留衣は睦月を見ながら敬礼すると、彼女と共に部屋を後にした。
姉妹が階下に行くのを黙って見送ったリンは、自分達が泊まる部屋の襖を閉めた。そこでは、弥生が景色を見つめている。リンは、意を決したように前を見据えて口火を切った。
「あのよ、天正村の住人の記憶から…お前と睦月に関する記憶をすべて消したからな」
すると、弥生は障子を閉めてリンを見つめると、
「そう」
と、答えた。それを聴いたリンは、目を丸くして弥生に訊いた。
「そうって…そんだけか?」
「うん。もう、あの村には未練すらないし。でも……これからの事を考えると、少し、つらい」
弥生は若干つらそうな顔をして、下を向きながら言い続けた。
「だけど、出発間際にリンは私と睦月に言ったよね。『清濁併せ呑む覚悟もしておけ』って。だから、村を出る時にはそれ相応の覚悟はできていた。でも、怖いの、これからが。…その、柊君が、留衣と睦月を…あの二人の実家に…連れて帰るんじゃないかって」
それを聴いたリンは、弥生に近づいて彼女の頭を優しくなでながら言った。
「大丈夫じゃねーの? 睦月は、そう簡単にお前から離れやしねーよ。な?」
「…ん。リン、ありがとう」
弥生は、半泣きの顔でリンに礼を言った。
「どういたしまして。…ついでに、お前らぁぁ! 他人の話きくヒマあんなら今すぐ部屋に戻りやがれ!!」
リンが襖を思い切り開けた時、そこにはリュウとヴァイス、楓に柊がいた。リンが般若の形相で四人をにらみつけた時、四人はその場から脱兎のごとく駆けだして行った。リンは苦笑いで弥生を見ると、弥生も苦笑いをリンに返した。