参話 −北の“氷重”と姉妹の関係− 弐


 夕食の片づけを洗面所でひと悶着を起こして睦月(むつき)に怒られた面子が行っている時、“氷重(ひょうえ)”の本家に行っていたウィリーが戻ってきた。

 留衣(るい)はウィリーの右足にくくりつけられている縦長に折りたたまれた和紙をほどくと、それのしわを伸ばすことなく台所で面子が皿を割るなどのアクシデントをしないように監視を行っている睦月に手渡す。睦月は留衣に礼を言うと、しわを伸ばして手紙を広げた。それには、黒々とした文字はミミズがはった後のようにのたくっていた。

「読む?」

 それに対し、留衣は顔を若干しかめて肩をすくめると

「あのね、あたしだって年々体形がダルマみたいになっていっているおっさんのミミズ文字なんか読みたくないよ。睦姉(むつねえ)、悪いけれど翻訳よろしく」

 それを聞いた睦月は、留衣と同じ位顔をしかめて

「それを言うなら私だって読みたくないわよ」

 と言って、たまたま近くにいた(しゅう)に押し付けた。柊は、有無を言わせない表情の姉妹を見つめた後に顔をしかめながらミミズ文字を黙読する。それから、手紙を睦月につき返した時、彼女は黙って受け取った。

「なんて?」

 両腕をゆるく組んだ睦月に対し、柊は顔をしかめたまま答えた。

「最初は、お前らの無事を喜んでいて…中盤から終盤あたりは『本家に戻るなら、わしの跡を継げ』…要約すると、そんな感じだった」


「却下に決まってっだろーが、んなもん」


 三人のやり取りを聴いていたリンが口を挟んできた。右手にはヘチマでできたタワシ、左手には平皿が握られている。それを聴いた睦月は、唇を真一文字に引き結ぶと

「相変わらず、バカの一つ覚え並みの思考回路みたいね。アンタの実父は」

 と柊に向かってはっきりと言うや否や、手紙を縦に引き裂いた。それは、柊の実父、つまり、現“氷重”の当主の意思に反することさえも表していた。柊は、それを黙って見つめるとかすかに微笑んだ。

「お前なら、そうすると思ったよ。睦月」

「そう。…ところで、叔母様は?」

 睦月が柊に聴いた時、彼は顔を横に振って

「お前達が来る一週間前から個人的な用事で西に…。まだ、戻ってきていないんだよ。母さん」

 それを聴いた睦月は、目を半分ほど細めて

「だからか…」

 と呆れたように呟いた。それを聴いた留衣が眉根(まゆね)を寄せる。

「話の腰を折ると思うけどよ、俺らに理解できるように説明してくれよ」

 食器をふきんで拭いていたリュウが割り込んでくると、

「自分達の今やっている仕事が片付いてから、きちんと説明するわよ。それに、」

 睦月がリュウにぴしゃりと言うと、その場にいる全員を見渡して告げる。

「あんたらの仕事が終わらないと、私ら全員銭湯へ行けないの」

 それを聴いたヴァイスが、平皿を数枚持って食器棚へ向かいながら睦月に訊いた。

「風呂…壊れたのか?」

「どっかの誰かさん達が、夕飯前のひと悶着起こした際のとばっちりを受けてね」

 睦月が(まゆ)をひそめながら言い放った。



******



 四人が悪戦苦闘しつつ皿洗いを終えた時には、空が宵闇のカーテンを引くか引かないかと言う時間帯だった。

 各自着替えを持って外に集合してから柘榴(ざくろ)がドアに鍵をかけて、すぐ近くの銭湯へ向かう。前から柘榴、柊、弥生(やよい)、睦月、留衣、(かえで)、ヴァイス、リュウ、リンの順だ。リュウが、周囲を見渡しながら呟く。

「どうでも良いけどよ、銭湯って何だ?」

 リュウの疑問に答えたのは、睦月だった。

「こっちの公式浴場の事だ。他の三ヶ国と違って、男女別だから」

 流行病の病原菌とかばらまいたら許さねーからな、と睦月が季冬(きとう)の時の口調で付け加えた時、彼女の目がかなり据わっていた。

 それを弁解するように、リンが若干拗ねた口調で言った。

「病原菌なんて持ちこんでねーよ」

 それを聴いた睦月が、目を据わらせたまま呟く。

「だけど、昔の三ヶ国だって公式浴場が在ったらしいじゃないか」

「あ゛ー。あれな、あれは風呂場でやらしーことしたから廃止になっちまったの。昔は男女別だけでなく混浴とかがあったからよ」

 それを聴いた睦月、弥生、留衣は顔を真っ赤にした。それを見た柘榴は、「早く行かないと閉まっちまうよ」と言って、一行を急がせた。どうでも良いが、柊は蚊帳の外状態だった。



 しばらく歩いた時、柘榴が弓矢を模した看板の店の前で立ち止まる。疑問に思った柊が柘榴に訊ねた。

「あの、ここって…どこ?」

「あたしらの目的地、銭湯さ」

 それを聴いたリュウが、眉根を若干寄せながら呟く。

「武器屋の間違いじゃねーか?」

 すると、睦月が弓矢を模した看板を指差して「あれは、弓射ると湯入るをかけた洒落だよ」と言って、赤い暖簾(のれん)に白抜き文字で『』中に入る。それに弥生、留衣や楓にリン、柘榴、柊の順に銭湯に入る。
 リュウは、睦月達が入って行ったのを見届けるとヴァイスを伴って中に入る。そして、それぞれ靴と雪駄を脱いで近くにあった下駄箱に放り込んだ。リュウが横を見ると、何故かかなりためらっているヴァイスがいた。リュウは、ヴァイスの襟首をつかんで紺の暖簾に白抜き文字で『男湯』と明記されている向こう側へと姿を消した。



******



 山頂が白く輝く青い山が描かれている絵を見ながら、柊はため息をついた。男湯には彼のほかに楓、リュウ、ヴァイスの他に誰もいない。いわば、貸し切り状態だ。

 ――…これから、どうなるんだろう。

 柊の様子を見ていた楓が、柊の横まで言って話しかける。

「ため息つくと幸せ逃げるよ」

「あ…そうですか、えっと……」

「楓。お前、柊だろ。留衣と睦月が言ってたから」

「あ、はいそうです。楓さん」

「楓で良い。お前みたいな世間知らずで、精神年齢が留衣より年下に敬語使われるの嫌いなんだ、僕」

 楓は柊の目の前で毒を吐いた。それに対し、柊は空いた口がふさがらなかった。楓は柊の反応を内心楽しみながら続ける。

「お前さ、家飛び出したのって自分が親の後を継ぎたくないからだろう? それ、親から逃げている証拠だから。それに、何で他人に頼らずに逃げたんだ?」

 楓の言葉に、柊は目を泳がせながら呟いた。

「相談できる奴…いないから…」

 それを聴いた楓は少し考える動作をすると、柊の額を指先ではじいた。

「痛いな、何するんだよ!」

「やっと見せたな」

 楓はニッと笑って言った。

「年相応の表情ってやつをさ」

 柊は、前々から思っていた事を楓達に訊いた。

「あのさ、お前らって…あの三人の中で誰が好きなの?」

 それを聴いたヴァイスはタイルの壁に顔面を激突して気絶して顔から直接湯につかり、リュウはヴァイスを引き上げて、そのまま洗い場まで連れて行き、楓はその様子を見守ってから、柊の方を見て呟いた。

「お前、天然だろ」

 それを聴いたリュウが、湯船に入り込みながら断言する。

「ヴァイスさ、あの手の質問になるとおかしくなるんだよ」

「お前がおかしくさせてんじゃないの?」

「ちげーよ、あの村からおかしいんだよ」

「変な薬を服用させられたか、誰かに恋い焦がれているか…。そのどちらかだろうね」



 その頃、女湯では。

「さっき、すごい音が聞こえて来たんだけど…」

 湯船につかっていた弥生が、男湯と隔てている壁を見つめながら呟く。

「柊のおバカがバカバカしい質問を投げかけたから、ヴァイスが気絶したんだろ」

 洗い場でイスに座ったままの状態で髪をまとめている睦月が言った。

「ちげーねーな」

 リンが笑いながら同意すると、睦月の隣で頭を洗っていた留衣が怪訝そうな顔をしたが、すぐにいつもの表情に戻って頭を洗う事を再開する。すると、湯船につかっていた柘榴が話に割り込んでくる。

「若いっていーねー。あたしもあんたらと同い年の時に戻りたいよ」

「柘榴さんだって若いじゃないですか。リンも同じ位若いし」

 柘榴とリンは顔を見合わせると、リンの方から口を開いた。

「外見年齢は、な」

「そうそう」

 それを聴いた睦月が、やっと髪をまとめ終わったらしく椅子を片づけながら、疑いの眼差しをリンと柘榴に向けながら訊いた。

「ねぇ、まさかそれって実年齢が相当老いているとか言わないよな?」

「「そのまさかさ(だ)」」

 唖然としている弥生と睦月に、リンが苦笑いをしながら教えた。

「“能力持ち”がある程度年食ったらこうなんだよ。自分の意思で、どんな年でも偽れる」

 それを聴いた弥生が、恐る恐るリンに訊く。

「それで、今まで苦労した事ってあるの?」

 リンは、神妙な顔でうなずいて口を開いた。

「嫌と言うほどな。普通の人間に化け物扱いされて、刃物を向けられた事だってあるぜ。いずれ、話そうかと思っていたんだ。ごめんな、こんな所でこんな話して」

 ううん、と弥生は首を振って言う。


「話してくれただけでも、とても嬉しいから。気にしないで、リン」


 その時弥生が浮かべた微笑は、自分の運命を受け入れた少女のようだった。