二時限目 −学園長室 de ティータイム−
うちがマホガニー製のドアを開けた時、その場におったのは菖蒲だけやった。菖蒲はうちに目線を向けると、奥の給湯室へと引っ込んでしもうた。…やれやれ、相変わらずな奴や。
ってちょ…待てや、あいつがうちを見たっちゅう事は、うちは何かあいつに危害を加えたっちゅう事やろうか? …うわぁ! やばい、どないしょ?!
うちがうろたえとると、給湯室のドアが開いて
「何を一人で百面相しているんだ? 青」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!! …って、菖蒲やんか! めっちゃおどろいたわ!!」
うちが文句を言うと、菖蒲はいつも通りのポーカーフェイスで「壱葉は?」と、うちに訊いてきた。
「え? …ああ。壱葉やったら、個人的な用事が出来たとか何とかで、遅れるそうや」
それを聞いた菖蒲は、ポーカーフェイスを崩す事無く「そうか」と呟くと…
うちの腕を引っ張って、給湯室へ連れ去ってしもうた。
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学園長室の横にある給湯室は、普通の会社や教職員が利用するあの給湯室よりもそれなりに豪勢やと思うてくれたらええ。
菖蒲は、うちを給湯室に押し込んでドアを閉めると流しの上にある戸棚を開ける。そして、何かを探し始めてしもうた。うちは菖蒲の後ろ姿を見ながら、開口一番に文句を言った。
「お前、いきなり何すんねん!」
「壱葉の代役」
「はぁ?」
「だから、今日は壱葉が遅れるなら仕方がない。だから、青。お前は今日だけ壱葉の代役だ。ありがたく思え」
と菖蒲はこっちを向いて言って、うちに緑茶が入っとる缶を押し付けた。……そういや、ここで飲む茶の準備はいつも菖蒲と壱葉の担当やったな。それなのに、壱葉はと言うと、今日は用事があって遅れてまうから、たまたま入って来たうちを代役にしたんか。…なるほど、納得いったわ。
…って、壱葉の代役はうちやなくてもえいやんか! 菖蒲は、うちの考えを読んだらしく戸棚から茶道具を取り出しながら言った。
「零と白河はコーヒーしか飲まないから、あいつらに茶を入れさせるとかなりまずい。翡翠も同様だ。……まぁ、あの無知の場合は、茶を入れる為のイロハを全く知らんからな。蓮の場合は、翡翠や零、白河よりましだが…納得がいかない上に物足りない。私にとって、納得がいくのは、おばあ様と壱葉……そして、お前だ。青」
お前、休日は壱葉と茶を楽しむ際に彼女の助手になる事が多いんだろう? と、続けた。
「そうか。そりゃ、何よりや。…って、ちょい待ち」
「何だ? いきなり」
「ハシバミと八月一日はどうなん?」
菖蒲は少し考えると、戸棚から紅茶の缶を取り出しながら答えた。
「翡翠達と同類だ」
「……わかったわ。で、うちは何をしたらええんや?」
「主に私のサポートだ。それ以上はしなくて良い」
「OK」
あーよかったわ。それやったらなんとかできそうやし。
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給湯室に響く音は、金属と陶器が当たる音と茶葉をティースプーンですくう音、やかんがふっとうしたという周囲の女子の黄色い声のような合図のみや。それを打ち破るかのように、菖蒲が口を開いた。
「青」
「何や?」
「お前、壱葉の事をどう思っている?」
その質問に対して、うちは一分位固まってしもうた。
「青?」
菖蒲のけげんそうな声で、うちは我に返った。
「…あ、ああ。壱葉の事をどう思うとるかやろ? そやね、友達やと思うとるで」
「ふうん。そうか」
菖蒲は、茶葉をティースプーンでティーポットに入れながら納得したように頷いて、再び口を開いた。
「すでに知っていると思うが、私は壱葉と零に絶対の忠誠を誓っている。もし、壱葉を裏切るような真似をしてみろ。あの時の奴のような二の舞を踏むという事を、絶対に忘れるな。青」
それを聴くと同時に思い出す、二年前の悲劇を。
刃のような雨、恐怖に彩られた碧眼、怒りで放たれた弾丸、狂ったように笑いまくっとるあいつ…。
思い出すだけでも虫唾が走るあの悲劇だけは、壱葉に究極のトラウマを植え付けてしもうた。壱葉だけやないんや、壱葉に係わっとる全ての人間に怒りと憎しみを植え付けてしもうたんやから。
「そんな事は百も承知や。せやから、今のうちに頼んどくわ」
「何を」
菖蒲は作業中の手を止めて、うちを見据える。そんなん訊かんでも分かる事やろ、菖蒲。
「これから先な、うちが壱葉を裏切るような真似した場合…あんたの手でうちを葬ってほしいんや」
「承知した」
菖蒲はそれを言うと、作業を再開した。これ以上話をする気はない、と言うように。
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その後。
うちと菖蒲が今日の茶を準備し終えた時、壱葉が慌てた様子で学園長室に入ってきた。
本人曰く『クラスメイトの質問に答えていたら時間がかかってしまった』との事。
そして壱葉は「今日のお茶菓子に加えて欲しい」と言って鞄からクッキーを取り出した。今日の調理実習時に作った物らしいな。
菖蒲は壊れ物を扱うかのような手で、そのクッキーを受け取ったとは言うまでもない。
それから、零や白河、翡翠や蓮に八月一日にハシバミ、最後に学園長がきて今日のティータイムが始まった。
「たまに皆で集まってティータイムも、良いもんちや」
ハシバミが今日の茶菓子のシフォンケーキにがぶりつきながら言った。
「はしたないで、ハシバミ」
「別にえいやんか、逆しー指」
「誰が逆しー指や、ハシバミ」
うちとハシバミが睨みあうと八月一日が「逆指先輩、葉実橋先輩。ケンカしないでください」といさかいを止めたので、うちとハシバミはしばらくにらみあった。
それを見た壱葉が『相変わらずね』と言いたげに微かに微笑んどった。
Fin.